Essay on
SHE IS HERE
Words by Yuzu Murakami
いつだったか、自分が着ていた好きな服について「もうちょっと普通の服着ればかわいいのに」って言われたこと、ぼんやり、っていうか結構めらめらしながら思い出す。
学生時代の飲み会のなかで、「その服モテないよ?」「いやモテるために着てないし!」「いや女はすべからくモテるために外見整えて服選んでるんだろ?」「いやなんで女全員がそうだと思ってんの?」「いや少なからず絶対そう!」っていう論争が勃発したときのことも、かなりめらめらしながら思い出す。
確かに、まことしやかに「モテる」とささやかれる人気のコスメを持ち歩いたり、あるいは自分が大好きな服なのになんとなくそれを着る勇気が出ない日もあるわけで実際に自分以外の人のために服を着ることもあるっちゃある。だからといって好きな服を好きに着る、自分の選択権を他人の価値観にハッキングされるのはマジで勘弁です。
さて、とはいえ好きな服を好きに着るということは、実は当たり前の権利ではありませんでした。その権利は、わたしたちの先輩たる初期のフェミニズムの活動家の努力によって獲得されたものであるのですが、そのことはうっかりさっぱり忘れさられています。
18世紀、女性の「ファッション」はブラジャーやコルセットなどの身体を強引に変形させる窮屈な選択肢と切り離せないものでした。フェミニズムの活動家たちはそのなかで「普通にキツイ服着たくないんですけど?」という思いから声をあげ、勇敢に心地よい装いを探求した先駆者たち。いわば彼女たちの「着替え」が、いまのわたしたちのファッションの楽しみと、その可能性を広げてくれたのです。
しかし、そうしたフェミニストの先輩方の頑張りによって普通に楽で着心地がよい装いが達成された一方、かわいらしい衣服やメイクを好む女性ももちろんいました。そのかわいらしさにこそ窮屈を感じていた先輩たちは、自分たちが頑張って乗り越えたのにそこに戻るわけ!?と、ブチギレ。
「好きな服ぐらい好きに着せてよ!」とかつて自分たちが叫んだ言葉を、かわいらしさを探求する女性たちにそっくりそのまま叫ばせてしまい、そんなこんなで一部のフェミニストは、男性だけでなく女性からも「怒りっぽくてモテない」存在というレッテルを貼られてしまったのでした。
しかし、フェミニズムの研究者で、2021年に亡くなったベル・フックスは、フェミニズムが達成したファッションの自由について次のように述べています。
「(…)わたしたちの多くは、選べることをすばらしいと感じていた。そして選ぶときに、わたしたちはふつう、着心地のよい楽な衣服を着る方向に向かった。(でも、)美しさやスタイルへの愛を、楽さや着心地のよさだけと結びつけるような短絡的なことを、女性たちはけっしてしなかった。女性たちが要求しなければならなかったことは、ファッション産業がさまざまな衣服をつくることだった」。
ベル・フックスのこの言葉によれば、いまのわたしたちには、最初のフェミニズムの活動家たちにとってはやや不都合だったかもしれないかわいらしさや、コルセットをはじめとする身体変形の衣服も、そしてもちろん楽で快適な衣服も含む、ファッションにおける「さまざまな」選択肢があり、それ自体が、歴史を貫く女たちの闘いのひとつの達成だ、と考えることができます。つまりフェミニズムは、誰かの選択肢を制限するのではなく、さまざまな選択肢にひらかれた状態を目指す「前進」なのです。
<6>がかかげる「相対するエレメントが混じり合う瞬間の美しさ」というブランドのヴィジョンは、まさにベル・フックスが述べたような、「選べる」という自由に基づいています。
<6>というブランド名が、“SPORTS” “MILITARY” “ETHNIC” “MARINE” “WORK” “SCHOOL”の6つのエレメントで構成されるように、<6>の服は選びとり、混ぜることの楽しさを教えてくれます。2022年春夏シーズンのテーマ「SHE IS HERE」は、いわば選びとることの幸福を全力で享受するわたしたち/彼女たちがあげる狼煙(のろし)であり、その狼煙は、「わたしたちはここにいて、燃えている」ことを示します。
若さの窮屈さから解き放たれたと感じても、歳をとるのが怖いときもある。全身オーバーサイズで身体の線を隠したかった日の夜、下着だけの自分をいとおしく感じることもある。「その服モテないよ?」に傷つくときもあるし、グーパンお見舞いしてやるよ!というときもある。好きな服も、好きな自分もひとつじゃないわたしたちにとっては、服を選ぶことが自分の心と身体と向き合って生きることでもあるのです。めらめらと女性たちが燃やしてきた意思もうつろいやすさもこみこみで肯定してくれる今シーズンの<6>は、そんな大きな度量で、何度でも狼煙をあげるわたしたちの背中を押してくれる相棒になるはずです。
参考:ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』掘田碧 訳、エトセトラ・ブックス、2020年
村上由鶴
1991年生まれ。写真研究、美術批評、ライター。日本大学芸術学部写真学科助手を経て、東京工業大学大学院博士後期課程在籍。専門は写真の美学、ファッション写真。雑誌やウェブ媒体などで現代美術や写真に関する文章を執筆。
2022年春夏コレクション「SHE IS HERE」のルックは、こちらからご覧ください。