
ヒト <UNITED ARROWS PODCAST>
2021.06.22 TUE.
PODCASTでお送りするOMOIDE EPISODES #3
素直な暮らしかた。
ユナイテッドアローズ(以下UA)の30年の軌跡を振り返る写真集「United Arrows」の発売に合わせて、インスタグラムとサイトで〈UNITED ARROWS ARCHIVE〉がスタート。その中の〈OMOIDE EPISODES〉は、毎回様々な方をゲストにお迎えして”思い出”を語っていただく音声コンテンツです。第三回目のゲストは、編集者のルーカスB.B.さんと写真家の若木 信吾さんです。ルーカスさんは1993年に来日し、様々なメディアの創刊を手がけたり、野外フェスティバルやイベント企画、プロデュースなど様々なフィールドで活躍されています。そして写真家・映画監督として活躍する若木さんは、ルーカスさんが来日した頃に、アメリカ留学から帰国。旅で出会った人のポートレート写真を集めた写真集など “人”をテーマにした作品を手がけてきました。そんな二人が渋谷と恵比寿の間にある古民家で話をしています。ここはルーカスB.B.さんのオフィス。一体どんな話が聞けるのでしょう。PODCASTでは、全文をお聴きいただけます。
Photo:Kenta Sawada
若木:何回か来て写真も撮ってるけど、下にベッドルームがあって、それ言っちゃダメなんだっけ?
ルーカス:イヤイヤ。昔と変わって一階は全部事務所になってる。
若木:前に来た時は、一階が広いベッドルームで、板の間が広くて、ベッドが一個あるだけだった。入口は日本家屋の感じだけど、すごくおしゃれだった。長く住むのもよく分かるというか、庭からの眺めもいいしね。
ルーカス:だいたい来た人には、おばあちゃんの家って言われる。渋谷と恵比寿の間ってことをみんな忘れてしまう。面白い空間だよね。


若木:長くここにいて、引っ越したいとか思わないの?
ルーカス:全然ないけど、追い出されたらしょうがないとは思ってる。いよいよそういう時期が来るんじゃないかと思ってる。
若木:世代交代だよね。僕ら別のメディアで80歳以上の人の取材してるけど、戦争経験者だけど当時子供だったからよく覚えてないって人も多い。僕ら戦争経験者じゃないから、ぜんぜん違うよね、感覚が。
ルーカス:奥さんのカオリの実家が静岡の焼津だから、土日に会いにいってるよ。今海外に行けないけど、おばあちゃんとタイムスリップしているみたいですごく面白い。生活のスタイルとか料理、もちろん戦争のことも聞いてる。
若木:浜松もそうなんだけど、東京空襲で爆弾を落としていくでしょ?落としきれなかった爆弾を基地に持って帰るなって言われていたらしくて、全部浜松とかあの辺に落としていくわけ。一応軍事工場もあったからね。かなりの量を落としていったから、不発弾がいまだに出てて、それがまだあちこちにある。そういうの聞くと、まだ戦争は続いてると思うね。
ルーカス:焼津はあんまり人口いなかったからね。
若木:ルーカスはアメリカ人なのに素直にそういう話を聞いて、理解してるし、よく覚えてる。どっちかというと日本側の人になってる。
ルーカス:こっちで過ごした時間の方が長くなるからね。来週50歳になる。信吾は?
若木:おめでとうございます。そうか、もう日本人だね。俺は先月、50歳になった。
ルーカス:そう、日本語下手な日本人(笑)。
若木:でも誰よりも日本の地方に行ってるよね。
ルーカス:そうだね、あちこち。親とか弟とかコロナ禍になって話す機会が増えてるから、親も喜んでる。遠かった存在が近くなったような感覚になるね。弟と今日も3時間話してた。向こうのコロナの状況とか、注射のこととか、映画のこととか(笑)。弟も4年間日本で働いていて、その時に今の奥さんと出会ったんだよね。だから日本に戻ってきたい気持ちがあるみたい。
若木:もう弟はワクチン打ったの?
ルーカス:ちょうど昨日打ったらしい。親はもう一ヶ月前ぐらい。アメリカは早いよ。僕も早く打ちたいけど、みんなさまざま意見があるみたいだけど。
ルーカスさんは、日本でも各地を旅しています。若木さんは地元の浜松市に「BOOKS AND PRINTS」という本屋を出店するなどして、東京都と静岡県を行き来し、2拠点生活をされています。そんなお二人に、地方都市のあり方、東京以外の場所についてお聞きしました。


若木:余白が多いって感じかな。僕らは出身がそっちだから。そのままいたら、周りの人とか親から受け継いだ生活の仕方しか知らないままだったかもしれないし、留学先のニューヨークの大学は結構田舎で浜松と同じくらいだったんだけど、生活の仕方は全然違ってて、こういう風な楽しみ方があるんだと知って自分の地元でそれができる可能性が見えたんだけど、それが一番大きかったかな。余白っていうのは、そういうチャレンジできたりとか、自分の生活やスタイルを変えられる余裕が、金銭的にも場所的にもマインド的にもまだやれるんじゃないかっていう風に見える、都会よりも。都会はこういう風にしなさいとか、楽しいよとかそういう情報だらけだから、自分で考えてやる必要はないんだよね。もちろん楽しいけど。自分のやり方でやりたい時、地元はその可能性があるなと思って。忙しくて想像ばかりだけど、想像とリアルが繋がっている場所だから、あそこだったらあれできるなとか。それが面白い。
ルーカス:浜松で、信吾が本屋を出してもう10年ぐらい?
若木:ちょうど10年ぐらい。すごい小さい店から始めて、だんだん大きくなってね。ゲストアパートメントも借りていたけど、ちょうど返しちゃった。コロナで誰も泊まりに来なくて。でもそういうことも結局、アイデアをもらったのは鹿児島の人たちだから。自分のところだけに住んでいたら絶対に思い付かないことをちょっと足を伸ばすと気付かせてくれる。それを自分の近くの場所でアプライして、人に強要する必要もないし、自分でやればいいからね。
ルーカス:地方が面白いのはアメリカもそうだけど、日本が特にそうだと思うのは文化が細かく違う。一つ山を越えれば変わったりもするし、水も人も違う。育っている植物も違うし、仕事も文化も違う。それで一つの県でも違いがあれば、違う県に入ると言葉も変わる。アメリカだとネイバーフッドがあるじゃない?チャイナタウン、ツイン・ピークスとか、カストロとか。そこの場所に行くとちょっと気分が違うでしょ?日本もそうやってひとつの日本として見るようにしている。僕はあんまり好きじゃないけど、街や地方がどうとかの話になるけど、街にも地方も魅力がある。それぞれの場所で新しいアイデアや人と出会えて、日本に一体感がでてくるように思っている。雑誌「PAPERSKY」は半分海外、半分日本でやっていたけど、今の状況だと日本だけでやっていかなきゃいけないけど、みんなそういう考えになれたらいいなと思う。
若木:アメリカも州ごとに全然違う?
ルーカス:全然ってほどではないかもしれない。やっぱりチェーン店が強いからローカルな感じは少なくなってる。日本がすごいと思うのは、ローカルな感じがあちこちにあるのが引っ越してきた時、すごく感じた。もちろんアメリカにも探せばあるけど、日本の方が出会いやすいよね。
若木:僕は日本にずっと住んでるから、歴史の観点から地方の分断化をしがちだけど、地形によってここに川があるから、谷があるからっていうルーカスの見方の方が正しいのかもしれないね。日本だと南向きの日が当たるところがいいっていうふうに言われるけど、フィンランドとかいくと、森の中にアアルトの別荘とかあるの見て、ああいう感じを日本でもやりたいと思っちゃうけど、日が当たらないところは湿気が多いからちょっととか言われる。なんかそこを転換したらもっといい場所を作れるんだけどね。
ルーカス:そういう時僕は、見た目が外国人だからアドバンテージがあるけど、「森を作りましょうよ!」って僕が言ったら、外国人がそう言ったら良いものなのかもって思われたりもするけど、信吾がそれ言ったら「暗いから」とか言われやすいよね。
ここで話は2000年に未来を生きる子供たちのためのメディア「マンモス」のことへ。マンモススクールは、フリーマガジン、ワークショップ、キャンプイベントなどを立体的に連動させ、20年に渡ってさまざまな取り組みを行ってきました。ルーカスさんは“ルーカス校長”として活動していました。
若木:「マンモス」やってたじゃない?
ルーカス:山梨の西湖ね。
若木:富士山っていう印象が強くて。あれ、すごい良かった。いつからやってるの?
ルーカス:14年前にスタートして。親も子も楽しんでみんなが同じ場所で楽しめるものを作れたら良いなと思ってて、その時周りもママ・パパになって、この人の未来のために何か作りたかった。ちょうど「マンモス」で音楽の特集をやってたから、実際に自分たちもフェスやってみようと思って作ったけど、こんなに大きくなると思わなかった。UAも協力してくれて、子供の未来を考えるっていうことに賛同してくれたんだよね。子供のために何ができるか課題も出して。最初6歳だった子が大きくなって、フェスを手伝いに来てくれたりした。
若木:どっちにもいいよね、ビジネス的にも、子供にも。
ルーカス:僕は子供はいないけど、子供からしても自分の親だけだと知れることにも限りがあるけど、「マンモス」に良い大人がたくさん来て触れ合えれば、幅も広がるよね。親からしても、自分の子供がワークショップを通して何に興味があるのか分かるよね。
若木:それまでは子供をフェスに連れてこうと思っても大前提が大人のためのものだったから、安心できなかったりしたけど、あれは大前提が子供のためのものだから安心できるよね。一番印象に残っているのは、キャンプファイヤー。子供は夜出かけないから、夜に燃える火の前で、ルーカスのお父さんが楽器弾いて歌ってて、すごく良かった。釣りとかもそうだけど、うちの子は初めての体験を結構「マンモス」でやった。協賛してくれた企業も一つのことを一貫してやっているところが多いよね。そういう人たちがその企業を長く事業を続けるために何をしたら良いのか、社風を伝えていくべきかっていった時にルーカスのイベントはすごく良かったと思う。
ルーカス:「マンモス」にしても「PAPERSKY」にしても体験を大事にしている。今、情報とかデータとか知識を簡単に取れる時代になって、子供のほうが大人よりも情報を得るのが得意になっている中、大人が子供に与えられるのは、体験しかないと思う。
「マンモス」は、ルーカス校長から2019年に「グッドネイバーズジャンボリー」を運営する坂口修一郎校長へ。未来の子供達のために何かアクションを起こすことに共鳴したグリーンレーベル リラクシング(以下GLR)も取り組みのサポートを続けています。
ルーカス:10年前ぐらいかな。付き合いがあった社長にインタビューしたときに、植物が好きってことを知って、じゃあ「マンモス」で子供に何かやってほしいって話になって毎回何かしら子供向けの植物の企画をしていた。東京には面白い植物を扱ってる人がいっぱいいるから、毎回違う先生を立てて、そういう企画を長いことやってた。最近は「PAPERSKY」とGLRで、旅に行く時、着心地がいいものを作っていこうと。
若木:ブランド側にルーカスと同じようなマインドとか考え方の人がいて、採用してくれるんだろうね。ルーカスの漠然とした「面白いことやろうよ」って言葉が自然と一緒に仕事する人たちに共有されているのは不思議だよね。だからきっとその漠然とした言葉の裏側にルーカスのイメージがあって、それをきちんと伝えられるのはすごい良いことだよね。
ルーカス:一昨日、一緒に撮影に行ってた人がいて、僕はバイク全然詳しくないんだけれど話してて、日本のバイカーは悪いおじさんっぽい感じのイメージが強いけど、もっとかっこいいバイクのスタイルがあると良いねって話になって。日本人は型を探してしまってるんだよね。僕はスタートアップ的なことをいつもやるから、なかったものを作って皆さんに育ててもらうって選択肢もある。
若木:そうそう、ルーカスは種まきがうまい。でも、ある時でそれを手放すよね。それは何でなの?企業が育ったら売るっていうふうに見えてしまうこともあるけど…
ルーカス:それはないよね。だけどあるところに行くと、何か壁に当たって作ったモノのためにも手放さないとって思ってしまう。新しいイメージが湧くとそっちをやりたくなってしまうしね。嘘がないメディアじゃないと、良いものは作り出せない。ちょっと嘘になったり妥協したりすると、やっぱりこれはよくないとか思ってしまうんだよね。
「自分が自分で居られる場所を探そう。そして自分が自分で居られる服を着よう。そうすれば日々の暮らしがよりリラックスしたものになるはず」GLRがずっと大切にしている言葉です。お二人が考えるリラックスできる場所や時間とは?
若木:そんなにないですよね。あるようでない。基本的に場所よりも、気持ち的に怖いなとかストレスを感じると嫌になってしまう。どういう時でもそういうことを感じないように自分で場所を作ってきた。そういう意味ではリラックスというのは、安全というか、安心というか、外から攻撃されないような状況というのが一番自分にとってはクリエイティブしやすいよね。追い込まれてない時のほうがいいから。
ルーカス:日本に来て感じたのが初めてだった。アメリカにいるとどうしても、身の回りに危険がある。銃社会だし、ナイフを持ち歩いてる人もいるし、常に緊張感を持っていないといけない。それにやりたいことがあったら、誰かと競わなくてはいけないし、自分のアピールをしなきゃいけない。私はやりたいことが沢山あるから、いちいち競いたくないんだよね。それに比べて、日本は誰かと競わなくてもやりたいことがやれるから、良いよね。
若木:その当時のアメリカは特にそうだったかもしれない。いかにセルフプロデュースして、自己アピールして、仕事とって、現場でも沢山話して戦って、相手を説き伏せて。今はもうちょい変わったのかな?
ルーカス:若い人は変わってるかもね。アメリカも、ヘルシーな食べ物を食べるようになったり。僕は日本来る前まで野菜が美味しいなんて知らなかった。
若木:ルーカスも僕も、敵を増やしたくない。敵になりそうだったら先に話しかけるか、もしくは逃げる。ルーカスはすごく神出鬼没な感じがして、たまにパーティ行ったりすると会うんだけど、後で話そうと思ってたら、もう居なかったりする。
ルーカス:早く行って早く帰っちゃう。人混みが得意じゃないかも。
若木:アメリカとかヨーロッパの都会は、危ないと言われるエリアがあるけど、ああいうところはすぐ分かるから避けられるけど、日本は危ないエリアが分かりにくいね。そういう意味では怖くはないんだけど、別の意味でリラックスできないこともちょっと多いかもな。
ルーカス:日本は人の目が厳しいね。アメリカは割と自由かも。
若木:芝生で寝っ転がっているってこと自体がアメリカだとリラックスしてるんだなと受け入れられるけど、日本でそれするとこの人おかしいんじゃないかなと思われるよね。そこはだいぶ違うかも。
ルーカス:美味しいもの好きだから、美味しいものがある場所はリラックスできるよね。
GLRのコンセプト=「自分が自分で居られる服を着よう」の話へ。この日のルーカスさんは何年も前から被り続けているというお気に入りのB.B.と刺繍されたキャップを被り、若木さんもまた“いつもの服装”のようですが…
ルーカス:信吾、昔から変わってないよね。
若木:僕はずっとTシャツにデニム。若いときはデニムでもルーズなものを選んでたけど、やっと501がフィットするようになった。誰にも似合わないし、誰にでも似合う。
ルーカス:キャップもずっと被ってたよね、色とか形とか違うの沢山持ってた。ファッションも面白いよね。髭がなかった時は若く見られたけど、髭があるだけで人の見る目が変わる。
若木:ルーカス、そういうの進んでやるよね。コスプレっていうか、敢えて変わった格好してくるよね。ジャミロクワイみたいな帽子被ってきたりとか。人に何か言われても何も思わないから、それがリラックスしてるってことなんだろうね。
ルーカス:人に合わせることだけを考えて着飾ったらリラックスできないけど、自分の好きなもの着て、かつ相手のことも考えるとファッションっていいなって思えるよね。あとアウトドアもよくするから、見た目だけじゃなくて機能性が求められるよね。
今日は編集者のルーカスB.B.さんと写真家の若木 信吾さんの対談をお届けしました。次回もお楽しみに。
PROFILE

ルーカスB.B.
1971年アメリカ・ボルティモア生まれ。カリフォルニア大学を卒業し、卒業式の翌日にバックパックひとつで来日。『TIME』『WIRED』『JAPAN TIMES』にて、カルチャーやライフスタイルを専門とするフリーランスのライターとして活動し、1996年に日英バイリンガルのカルチャー誌『TOKION』を創刊。2002年にトラベル・ライフスタイル誌『PAPERSKY』を創刊。「エスノ・トラベル」という新たな視点で、時間、自然、文化をシームレスに融合させ、未来と繋ぐフレッシュなメディアを創造している。 https://papersky.jp/

若木 信吾
1971年静岡県浜松市生まれ。写真家、映画監督。ニューヨーク・ロチェスター工科大学写真学科を卒業し、雑誌・広告・音楽媒体など幅広い分野で活動している。浜松にある書店「BOOKS AND PRINTS」のオーナーでもある。映画の監督作品に「星影のワルツ」「トーテム~song for home~」「白河夜船」(原作:吉本ばなな)などがある。2018年「若芽舎」という絵本レーベルを立ち上げ、幼児向け絵本のプロデュース、発行人も務める。 http://www.shingowakagi.net/