ヒトとモノとウツワ ユナイテッドアローズが大切にしていること ヒトとモノとウツワ ユナイテッドアローズが大切にしていること

ヒト

2020.04.16 THU.

“この方をもう一度接客したい”
真心と情熱がこもった、接客のプロフェッショナルの人となりとは。

ユナイテッドアローズに入社したのが40代だったという〈ユナイテッドアローズ〉丸の内店の販売員、明石達司さん。そんな明石さんに、優れた販売のプロフェッショナルに与えられる「セールスマスター」の最も高いランクに位置する“プラチナ”の授与が決定しました。2008年に制度が始まって以来、販売員が目指す目標として社内で浸透している憧れの称号です。今回はそんな明石さんの入社までの販売員人生を振り返り、思うことやプライベートなお話をお聞きしました。

Photo:Shimpo Kimura
Text:Noriko Ohba

紆余曲折を経てたどり着いた「自分の居場所は店頭にある」という答え。

ー明石さんは、入社される前に何社かで経験を積まれたとお聞きしましたが、簡単に経歴を教えていただけますか。

ここへ入社するまでの僕の経歴は履歴書1枚じゃ足りない、というのが正直なところです。最初にこの業界に入ったきっかけは、新宿にあるトラッド系メンズショップで大学3年からアルバイトをしたことです。そこでは販売というより洋服自体に夢中になりました。トラッドやプレッピーが全盛で、今までに知らなかったことやモノ、色々な人との出会いがありました。そうそう、この時、社員で働いていた女性との出会いも大きかったですね、のちに妻となった女性です、余談ですが(笑)。

そこで出会った取引先のニットメーカーの方から「よければうちに来ない?」と誘いを受けて就職しました。社会人としてのスタートを切るわけですが、言い換えれば、ここから僕の潰し屋人生が始まるわけです(笑)。

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ー意味深ですね(笑)。続きを聞きたいです。

就職して2年経った頃、会社が大手アパレル会社に吸収合併されます。僕もその会社に入り、正攻法では決して就職できないような人気の大手企業で色々な経験させてもらえたのはありがたかったです。ですが、数年経ったころ営業先の社長さんから「新しくメンズのお店を出したいんだけど、誰か任せられる人いないかな」と相談され、転職を決意。「僕がやりたいです!」と迷わず手を挙げました。

庶民的な商店街にあるほんの10坪の敷地でしたが、夢いっぱいでしたね。ここから始めて将来的には何店舗も出すような店にしよう!と意気込んで、借金もして、同じ頃結婚もして、車も買ってと一気に人生の決断やお金のかかることをしました。26歳という若さゆえの勢いもあったのだと思います。ですが、7年経ちまた悪い虫が騒ぎ出すんですよ(笑)。もう少しメジャーなところに行きたいなって。そして大手セレクトショップにアルバイトとして入りました。

ーすでに多くの経験をされていますが、まだ30代前半のお話ですね。続きをお願いします。

そこで10年間働くのですが、この10年の間にメンズではDCブームも終焉し、イタリアのドレスブームに入っていくんですね。バイヤーとしてイタリアの出張に行かせてもらったり、忘れられないのは新宿の店舗で店長をしていた時代。40人のスタッフが本当に頑張ってくれて、同じ方向を向いた人間が結集するとこんなにも大きな力になるんだということを実感しましたし、結果的に売り上げ十数億という記録も作れた。体力的にはキツかったですが、毎日が充実して楽しかったです。

そこから当時勤めていたセレクトショップの副社長が立ち上げる新会社に誘われて、参画するのですが、1年で倒産してしまいます。そのあとは、また別のセレクトショップの方に声をかけてもらって、ブランドを立ち上げ渋谷のキャットストリートにお店を出したのですが、これも1年半くらいで潰れてしまいました。立て続けの出来事にさすがに精神的に参ってしまって、セレクトショップはもう懲りごり…と相当落ち込みました。

そのあとの行き先については、ブランドビジネスで顧客商売をするのもいいと考え、実際2社から誘いも受けたのですが、どこか吹っ切れない気持ちもあって。そんな時人材派遣の社長さんからユナイテッドアローズさんからも紹介の話があるよと。

ーようやく入社が近づいてきましたね。でも、セレクトショップはもういいと思っていたのでは?

そうなんですよ、だから最初は渋々でした。面接でも「2社ほど決まっているので返事はなるべく早めにいただけると」なんて偉そうに言っちゃって、今考えれば、イヤなやつですよね。でも、そこから考えが一気に変わります。面接を終えて、外に出て公園を歩いている途中で電話が鳴りまして「ぜひ来てください」と返事が。おそらく面接を終えてから30分経っていないと思います。そのレスポンスの速さ、そこから伝わってくる熱意に感動し、この会社でやってみたい!とモチベーションが高まったのを覚えています。そして入社してから現在に至るまで「生涯現役の販売員でいること」「自分の居場所は店頭にある」との思いはずっと変わりません。

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ー壮大なキャリアの変遷を聞かせていただきました。大変なこともたくさんあったと思いますが、何度もチャンスが巡ってきたことも驚きました。その秘訣はなんですか?

本当に人に恵まれているのだと思います。あとは自分でも“持ってる”タイプだとは思います。


社内で唯一。セールスマスター プラチナという輝かしい称号。

ー明石さんは今年、史上初のセールスマスター プラチナに認定されることが決定しました。セールスマスターという制度を整理したり広める仕事もされたそうですね。

はい。セールスマスターに認定されたその時は僕自身も制度についてあまり知らなかったのと、その位置付け自体がはっきりしていませんでした。そこで人事と相談しながら、基準値のようなもの、いわゆる売り上げの数値的なことや人柄、立ち居振る舞い、影響力など販売のプロフェッショナルとして満たす条件を決め、〈ブロンズ、シルバー、ゴールド、プラチナ〉と4つのランクを設けて、ステップアップしていく設計も整理しました。

4つの階層分けにも関わった中で、まさか自分がその一番高い位置にあるプラチナになれるなんて思ってもみませんでした。制度づくりに参加した時に僕がイメージしたプラチナは、販売ができて、会社のアイコンでもあって、具体的に言うと店頭で接客をしていた頃の栗野さんのような人。最初に自分がプラチナにという話を聞いた時は、思い描いていたプラチナのイメージには自分は遠く及ばないし、僕なんかがいいの?と嬉しさより戸惑いの方が大きかったです。

しかも、このセールスマスターの称号は取って終わりではありません。むしろ取ってからが大変だとも言えます。任期は1年なので、1年1年が勝負。僕だってプラチナをいただいた以上、降格はしたくありませんから(笑)。キープできるようすべてのお客様、全スタッフに向けて緊張感と集中力をもってのぞみたいと思っています。

ー2016年からは「明石塾」も始めて、接客についてさまざまな角度から後輩に伝えているそうですね。

残された定年までの期間をひとりでも多くの販売員に自分と同じような気持ちで接客を行う人財を育てたいという思いがあります。もちろん机上で伝えられることには限りがあるのですが、先ほど話してきたような僕の紆余曲折だらけの長い販売員人生で体験したことが少しでも役に立つのなら嬉しいですし、20代30代の若い人が僕のような苦い経験をせずとも同じ経験値に近づけるなら、喜んで語り部になりたいと思っています。

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お客様にとっての“かかりつけ”販売員になること。

ー「AKS 57」という気になる名前のノートについても教えていただきたいです。丸の内店のスタッフが全員使っていると聞きましたが、ノートにはどんなことが書かれているのですか?

ノートの名前は…すみません、完全にオヤジギャグなので説明するほどのことではないのですが。48歳の時にノートをつけ始めたので、名前のAKASHIと年齢の48で「AKS 48」と名付けて、毎年数字が1つずつ上がり今年は57です。

中身は、お客様の日々のアポイントの状況を書いています。僕も長い販売員人生で100名を超える顧客様がいて、毎日誰かしらのお客様がわざわざ店に足を運んでくださいます。その方たちとの約束事や提案したことなどを「AKS 57」に記すのは僕のルーティンです。

ーお客様との約束事とはなんですか?

僕はよく「お客様と約束事を作ることを大切にしてください」とスタッフに話します。例えば、「お話の中でこんなアイテムを探しているんだけど」とご相談してくださったら、「お客様がお探しのイメージに近いものがあればご用意しておきますね」とお答えするのも約束です。特にメンズにおいて大切な約束は、サイズのお直し。お客様には、できれば出来上がった状態を見たい、またその時にコーディネートの提案もさせていただきたい旨をお伝えして、次につながるような会話を心がけます。お直しに対して全幅の信頼をもらえたら、長年足を運んでくださいます。

またお客様のイメージ通りのものをご提供できたら、約束は守るだけでなく、段階的なステップを踏んで、こちらから提案することも大事です。例えば会社員の方で「うちは堅い会社だから、明石さんみたいな丈の短いものは履けないよ」とお話されていても、何回か来ていただくうちに「そうやって履いてみたいから、提案して欲しい」とご相談されることもあります。そうやって少しずつファッションの楽しさをお伝えできたときは嬉しいですし、少し高飛車な言い方ですが、お客様が育っていくのを間近で見られることもこの仕事の醍醐味です。

4_KR__4430ok写真左が昨年使っていた「AKS 57」。100円ショップで毎年25名分を購入している。このノートを上手に使うスタッフは顧客が増えているそう。使い込まれたクロムハーツの靴べらは、常に持ち歩いている必需品。ドイツ製のメジャーは、お子様連れのお客様がご来店された時に重宝します。メジャー部分の、伸ばして引き込まれる動きが面白いようで10分は遊んでくれるのだとか。ペンはモンブランを長年愛用しています。

ーパンツの丈のお直しが信頼につながる。男性ならではの感覚ですね。

この人に相談すれば大丈夫という安心感はすごく大切なことです。いい販売員はカウンセラーのようだと言われますが、僕もその通りだと思っています。お客様の洋服に対する価値観や趣味、求めていることは100人100色ほど違いますから、当然同じものを同じように勧めることはNGです。何を求めているのか、あるいは求めていないのかを想像しながら接客し、いつしかお客様に「この人になら安心して任せられる」「この人に相談すれば、コンプレックスを克服できる」と思ってもらえたら。医者や床屋さんのように、その人にとって特別な“かかりつけ”になれたらと思うんです。そのためにも約束を作り、それを守ることが大切だと思っています。

5_KR__4442okお客様の靴をそろえるときには、履きやすいよう少し離してハの字にする。こうした粋な心遣いが行き届いている。

ー約束ですか。一見簡単に聞こえますが、実際は難しそうですよね。

そうなんです。こちらがどれだけその方にお近づきになりたいと思っても、その約束を叶える、つまりまたお会いできる確実な方法はないんですよね。結局は、お会いしたその一回にどれだけ気持ちを込められるか、どうしてもまたお会いしたい、次は違うものをご紹介したいというオーラを持って、熱を込めてお客様とお話できるかが大事なのだと思います。

でもね、僕さっき自分で自分のことを“持ってる”って言ったじゃないですか。そういう気持ちでいるからか、やっぱりちゃんと2度目に会えるんですよ。比較的お休みのが多いにも関わらず、かなりの確率でもう一度会えます。この方をもう一度接客したいという心からの願いは通じるんだと思います。

ープライベートなこともお聞きしたいです。お休みの日はどんなことをしているのですか?

仕事では、お客様と話したり人に囲まれることが大好きですが、実は根は暗いんですよ(笑)。休日はひとりでのんびり過ごす時間が至福です。大好きなサザンオールスターズの音楽を聴いて、車に乗って遠くまで出かけます。僕は桑田佳祐さんを心から尊敬しているのですが、60代を過ぎてもあれだけ人を楽しませて、そしてあんなにすごいスターなのに謙虚な姿勢も伝わってきます。とても影響を受けているので、彼の姿を見ていると、あの年齢ぐらいまでは自分もお客様に元気を与えてまだまだ頑張りたいと奮起させられます。

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ー大きな存在なのですね。でもきっと同じように明石さんが年齢を重ねてもずっと店頭に立ち販売の第一線にいる姿は、ほかの販売スタッフも励まされるでしょうね。

そうだと嬉しいですね。スタッフには、自分たちのやっている仕事はお客様にとっても絶対にプラスになっているんだと自信と誇りを持って欲しいとこれからも伝え続けたいです。そして、個人的な今後の目標としては、まだまだ新規のお客様を増やしたいと思っています。すごく歳の離れた20代の顧客様や逆にぐんと上のお客様まで、幅を広げて、果敢にチャレンジしていきたいです。

ーまだまだ活躍が続きそうですね! 今日はありがとうございました。

※この取材は3月17日に実施いたしました。

PROFILE

明石達司

22歳から販売員として接客に携わり、40代でユナイテッドアローズ社に入社。2011年から〈ユナイテッドアローズ〉丸の内店に異動し今年で9年目を迎える。セールスマスターへの認定は、今年で7年目。明石塾という名で後輩の育成に力を入れている。

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