
「足元を見る」なんて言葉があるくらい、いつの時代も人の個性は地面と接するこの一部によく表れる。
だとすると、世界中のあらゆる名作シューズに触れてきたはずの栗野さんが
今、ニューバランスをよく履いているのはどうしてだろう?
「この2年くらいはこれがメイン」という550を履いた栗野さんが、その偏愛とエピソードを語る。
Photograph_Masahiro Sambe
Edit & Text_Rui Konno
550は“ザ・運動靴”っていう感じ

ファッションウィーク後のお忙しい時期にお時間を割いていただいてありがとうございます。今回はシューズについてのお話が訊けたらなと。
栗野宏文(以下栗野)はい。そう聞いていたので今日は550、履いてきました。もう2年くらい、こればかり履いているんですが、ついこの間、紐を変えたんです。
ベージュのシューレース、素敵ですね。ランニング系のニューバランスなんかでも紐変えはよくされるんですか?
栗野その辺も関係なくしています。その靴と自分のやりたいスタイリングとに合わせて変えているので機能はある意味関係なくて。シンプルに色合わせですね。今日履いてきた550は元々真っ白な紐がついていて、買った時には何のノイズも無い白い塊のような靴で、そこが良いなと思ったんです。
履いているうちにご気分が変わったんですか?
栗野そうですね。当初は子供がイメージして絵に描いたらこうなるだろうっていうような、“ザ・運動靴”っていう感じが良いなと思っていたんです。それは今も好きなんですけど、最近ベージュだとか茶系の服を着ることが増えてきたからか、その白い塊が時として目立ちすぎる気がして。550自体にホワイトとベージュ系とか、そういう配色のものもあったと思うけど、そうなると完全にそっち系に行っちゃうし、なんか違うかな…と。
色合わせがちょっと露骨に感じるっていうことですよね。
栗野はい。とても小さいことなんでしょうが、自分にとってはそれが大きいんです。10年以上前、パラブーツばかり履いていた時期にも同じようなことをやっていました。パラブーツも紐を変えたら面白いんじゃないかと思って。パリに色々な靴紐を売っているお店があって、そこで買ってきて。焦げ茶のパラブーツにターコイズの紐とか、オレンジの紐とか。勝手に変えて楽しんでいましたね(笑)。
シューズのアレンジはポピュラーですけど、レザーシューズではあんまり聞きませんよね。
栗野余談ですが、夏に素足で靴を履く人っているじゃないですか? それなら中敷きはパイルの方が良いんじゃないかと思って、ちょうど海外のそういう中敷きを持っていたからそれをサンプルにして某社で商品化したこともありました。「今治産でやってみようよ」と。
別注も履くけど、「珍しいから」と
買ったことは無いです。

栗野さんのシューズへのコンシャスぶりが伝わってきます(笑)。
栗野思い返すと、靴は色で買っていることが多いかもしれません。革靴ではグレーとかオレンジってほとんど見ないけど、スニーカーはあらゆる色が楽しめて良いですよね。白っていう色については革靴でもいっぱい持っているんですけど、ピカピカだと、ときにはキザになってしまう。だからいい感じに汚れている方が良いなと。
特にスニーカーは希少性や話題性で選ぶ人が少なくないですけど、自分の中にそうした指標があるのは大切ですよね。
栗野自分は色や素材感やシェイプ、そして機能的観点で選んでいます。そういえば、少し前にドーバー ストリート マーケット ギンザでニューバランスのポップアップをやっていたんです。ティーハウス ニューバランスとのコラボレーションのイベントで、すごく盛り上がったみたいです。しかも別注商品とかは少なくて、ほとんどがインライン品番。同店内のグッチの跡地にザ・ロウが入ると決まり、その端境期に面白いことをしよう、となった時「ニューバランスが良いんじゃないですか」となったそうです。
そんな経緯があったんですね。
栗野売り上げ的にも大成功だった様なんですが、それ以上にインラインをメインでそれをやったことを僕は評価したいと思っています。さっきの話と一緒で、別注だとかレアアイテムだとかって、ここ10年くらい言われ過ぎている気がします。ニューバランスに関して、僕は別注モデルも履くけれど、「珍しいから」と買ったことは一度も無いです。たまたま良いなと思った色がUA別注だったり、エメ レオン ドレとのコラボレーションだったりすることはありますが。
すごく共感するんですが、いわゆるハイプな選択というか、他者に自慢をするためのスニーカー選びについてはどう感じますか?
栗野うーん。どういうきっかけであれ、極端なものを履いたり買ったりするよりは正当なスニーカーを選べるなら…とは思います。例えばラグジュアリーブランドのスニーカーだと、25万円くらいすることもあって、しかもすごく極端なデザインだったりしますよね。来年にはもう履けないかもしれないし、履き心地が良いわけでもなかったり。それがニューバランスの10倍くらいの値段と考えると、もう少し上手にお金を使ったら? という気持ちに正直なります。ちゃんと意味があって、来年も再来年も履けるようなものの方が良いんじゃないかなと。今の言葉で言えば、もう少しサステナブルなお金の使い方っていうのかな。
実はそうした風潮に無理してついて行っている人もいるでしょうしね。
栗野洋服屋としては買ってくださるのは嬉しいけど、楽しんでくれているかが一番気になります。3時間並んで手に入れて、それで終わっていませんか? と。恐る恐る汚れないように履いて、後はいつ転売しようかな…って、なんだか寂しく感じます。
それを踏まえても、栗野さんの靴選びは地に足がついていますよね。文字通り。
栗野ニューバランスは昔UAの周年記念で、現会長のジム・デイビスさんにインタビューさせて頂いたことがあるんです。矯正靴とか、ランナーのためのものづくりとか、ニューバランスの元々のストーリーやフィロソフィーに即したプロダクトを提供する、ということを真剣に考えている方でした。その時に行ったボストンの本社が広大だったんですが、話を聞いたら「将来ここにこういう施設等々をつくりたいと思っている」と仰っていて、それがほとんど所謂コモンズでした。学校とか病院とか、要はそこの地域に役立つものを建てたいと。靴づくりも地元の子供が見学できるようにオープンにしていたり、そういう公共意識の強い方でしたね。
素敵ですね。ニューバランス自体にもそういう気質を感じます。
栗野仕入れて売る仕事をする以上、そういう哲学やメッセージはきちんと知って伝えたいです。僕らの仕事はメッセンジャーだから。
そもそも栗野さんが最初に履いたニューバランスはどんなモデルだったんですか?
栗野多分576だったかな? ‘98年くらいだったと思います。黒のオールスエードでとても履きやすかった。その10年くらい前、僕はビームスにいてその頃レイ ビームスのディレクターをやっていたんです。そこでアルバイトしていた女子がニューバランスを履いていたんですが、その時は僕は全然興味が無くて、「なんでそんな丸い靴履いているの?」って驚いていました。当時は、あんなに丸くて格好良くはないのに履くぐらいだから、よっぽど履きやすいんだろうな…と思っていました(笑)。
本音でお話ししていただけて嬉しいです(笑)。
栗野今はもう大丈夫ですが僕は元々腰痛持ちで、その’98年くらいに履いたのも、歩きやすくて腰に良い靴じゃないとマズいなと思ったからなんです。そこからニューバランスの履きやすさや、背景を知っていった感じ。最初にアルバイトの女子が履いているのを見た時には、36年後の自分がニューバランスを履き、好きになって、関係性が深くなるだろうなんて1ミリも思っていませんでしたね(笑)。
やっぱり魅力を自分で体感したら見え方は変わったんですか?
栗野というか、物体として僕が感じたある意味の不恰好さは変わらないと思います。でも、576とか996だったらトウの形が丸くて、テーパードだとそれが目立つからと思ってフレアのパンツを穿いたらなんだか合っていて、バランスが良かった。フォルクスワーゲンだって、「ヴィンテージ感が良い云々…」とか言われますが、そもそもは“カブトムシ”って言われるぐらい格好悪いものだったはず。でも、シェイプや外観に絶対的な解や基準は無いと思うし、常に今の時点で素直に感じることが良いと思うようにはしています。
僕はリサーチするのが仕事。
だからとにかく歩きます。


単純にご自身が親和したと言うことですよね。それでランニング系から入ったニューバランスが、今は550がメインになったと。
栗野ニューバランスのコートシューズ自体は300っていうモデルから始まってもう10年くらい履いていて、今も同じシリーズで4、5足くらい持っています。550のことは僕も最初はそこまでわかってなくて。白でオールレザーで、型番も目立ってなくて良いなと思って買ってから、ずっと履いている感じです。一方、ヨーロッパでは非常に流行ってたんですね。去年、パリ出張中に履いていたら「今それ、買えないんですよ」って言われて、「え? そうなの?」って。
ファッションウィークにも550で行かれてたんですね。
栗野去年はそうでした。今年は全身グレーで行きたかったからスエードの990でしたけど。僕みたいに1日に6時間も7時間も歩く人間だとやっぱりクッション性がある方が良いから、時には550にニューバランスの別売りの中敷きを入れて履いてます。
厚めのインソールですよね。...え? 栗野さん、そんなに普段から歩いてるんですか?
栗野子供の頃からよく歩き回っていたけど、この業界に入ってからはもうリサーチするのが仕事ですからね。パリでもロンドンでも、ミラノでもフィレンツェでもとにかく歩きます。フランスはストライキが多い国なので、みなさん慌ててタクシーを予約したりするんですが、「僕は歩くから大丈夫です」って。もう40年近く、パリ出張ではいつも左岸に泊まるんですが、昨冬は自分のホテルから徒歩15分くらいのところが最初のアポイント先で、それは当然歩いて行って。
まぁ、そういう人も結構いらっしゃいますよね。
栗野で、今度はセーヌ川を渡って右岸のマレーまで30分弱。今度はそこからバスティーユまでが20、30分くらいですかね。その後は北上してリパブリックっていうところまで、多分1時間位かかるんですけど、最後にショウのあったリパブリックからまたホテルまで、全部歩きで移動していました。
いよいよ競技みたいな距離になってきましたね(笑)。それはスニーカーじゃないと大変そうですね。
栗野オールデンだったら革靴でも行けますけどね。何十年も前に夜のパリで不良少年に追いかけられた時に全力で走って逃げたんですけど、その時はオールデンでした。
足元以上にそのエピソードが気になりますね(笑)。
栗野4、5人でご飯を食べていて、食べ終わったら急に襲われ、走って逃げたっていう話です(笑)。ニューバランスならまたそんな目に遭っても絶対逃げられると思います。
まず、そんな目に遭わないと良いですよね(笑)。
栗野でも、パリは危ないことが結構ある場所だから。歩きやすくて、濡れてもあまり見栄えが悪くならないスムースレザーの550が手放せないですね。今日、サンプルを見せてもらってこのオールホワイトのバージョンも買おうと思いました。6月のパリ出張はこれで行こうかな。
確か、この550も販路をすごく限定したようなものではなかったはずですね。
栗野僕はそれも良いことだと思っています。みんな自分が「なんか良いな」と思ったものをそれぞれ履けば良いと思うし、そこに選民思想みたいなものは必要ない。そもそも僕は550をザ・運動靴だと思って楽しんでいますから。
今日のお話を聞いてすごく伝わってきました。それが栗野さんの価値基準というか、審美眼なんだなと。
栗野よく「美意識とか感性はどうやったら鍛えられるんでしょうか?」とか聞かれるんですけが、それってそもそも人に教えられるものでもないと思うし、教わるものでもないと思うんです。まずは、有名だから買おう、流行っているから履こうとかっていうことを止めること。そして何かを買うんだったら一度立ち止まって悩むこと。みんながどれだけ「良い!」と言っていても、自分が良いと思えなかったらそれでいいし、誰も褒めてなくても自分が良いと思ったら履いてみるといいと思います。「バカにされたら嫌だな」なんて気にしなきゃいい。ファッションに忖度なんて、必要ないんですよ。

Hirohumi Kurino
profile
1953年、NY生まれ。ビームスを経て’89年にユナイテッドアローズの創業に参画し、セレクトショップとしての確たる地位を盤石なものにした。近年は上級顧問/クリエイティブディレクション担当という形で同社に関わりつつ、ジャーナリストとしても活動中。世界各国からその審美眼を頼る声が挙がる生粋のファッション業界人で、パリファッションウィークの観覧歴はもうすぐ40年。