僕らが見たい景色の話

僕らが見たい景色の話

Photograph_Yuri Iwatsuki
Edit & Text_Rui Konno

旬もトレンドもすぐに調べられる今と違い、洒落者たちが情報に飢えていたあの時代。
都市伝説のような真偽不明のウワサの中から真に迫るものを探し出し、
自分だけのワクワクを見つけたときの喜びはひとしおだったはず。
UAのアイコンでもある栗野宏文さんと、無二のものづくりを続ける小林節正さんが出会ったのも、30余年前のそんな折だった。
月日が経った今もなお、服と向き合う彼らの表情は
きっと当時と同じように嬉々としている。
着こなすだとか、似合うだとかを超えた先で
洋服をフレッシュに楽しみ続けるために。
ふたりの会話から見えてきたそのヒントと、2025年夏のスタイル考。

マノロ・ブラニクを見て
「『これでしょう!』って」(栗野)

― すごく新鮮なツーショットなんですが、おふたりが揃ってメディアに出られたことは以前にもあるんですか?

栗野宏文(以下栗野):1回ありましたよね。ジェネラルリサーチの何周年記念だったかで、アーカイブを見ながらお話ししたことが。

小林節正(以下小林):あ! そうだ。栗野さんに来ていただいて。

栗野:今日は対談用にと思って、何冊かネタになりそうな本、持ってきましたよ。(デイヴィッド・)ホックニー周辺と、あとはジャズ。

小林:ありがとうございます。この本(『サウンド・マン』グリン・ジョンズ 著、新井崇嗣 訳)、おもしろいから読んでみてください。

栗野:本当? ありがとうございます。

小林:最近、出歩くときにこういう本を持ち歩いてて。カウブックスで探してもらったんですけど、’70年代中頃から後半くらいのジャズの特集号は今見ると相当おもしろいですよね。

栗野:そうですね。僕も、あらかたレコードは買い尽くしたと思ってたんだけど、ここに来て’60年代後半から’70年代頭のジャズがおもしろくなって来ちゃって。

小林:俺も今、その辺をずっと掘ってます。ドナルド・バードとか。

栗野:ドナルド・バード、僕も4、5枚買いました。

小林:そうだったんですね。今、なんかすごい値段になってますよね。

栗野:だからそういうのは買わない(笑)。中古か、再発でも普通に買うから。

― 撮影前からも聞き耳を立ててたんですが、おふたりが顔を合わせると音楽の話がほとんどですね。

栗野:共通の話題っていうと音楽か仕事の話になっちゃいますね。

― そもそも今日の主旨にも関わってくるんですが、最初は雑談の中でUAのPRの岡本さんから「半袖シャツが苦手な方、結構多いんですよね」という話が出てきて。

小林:そうなんだ。

― それで、半袖シャツをどうモノにするかの話から、改めて「そもそも男で服が似合うってどういうことなんだろう」という話になりまして、「それを栗野さんに訊いてみたいね」となったんです。それで、栗野さんに「どうせだったら小林さんとお話しができたら」と言っていただいて、この場があるという形です。

小林:そうだったんですね(笑)。

栗野:正直言えば、“似合う”・“似合わない”ってあんまり好きな言葉じゃなくて、それについて語るつもりもほとんどなくて。それよりも、僕はその人らしさを持っている人が好きだから、そういう人と話せる方がいいなって。

小林:おぉ…ありがとうございます。もう、光栄すぎて(笑)。

栗野:いえいえ。とは言え、一応半袖シャツと言われたから、それで思い出しながら見直したのがこの辺りの本で。当時のジャズミュージシャン、みんなおしゃれしてましたね。

小林:そうですよね。(セロニアス・)モンクのフレームが竹のサングラスとか、ヤバいですよね。めちゃくちゃ格好いい。

小林節正
栗野宏文
白い半袖シャツ姿のボブ・クランショウ

右ページ下、白い半袖シャツ姿のボブ・クランショウはシカゴ出身のジャズベーシスト。名テナーマンとして知られるデクスター・ゴードンの名盤、『ゲッティン・アラウンド』でのセッションから。

ジュリアン・プリースター

トロンボーン奏者のジュリアン・プリースター。シャツと内側に覗くハイネックのニットの色味が完全に揃った、アンサンブルのような装い。果たして故意か、偶然か。

栗野:これは半袖にネクタイしてるのがいいなと思ったり、あとはおしゃれって話で言えば、中のニットとシャツがまったく同じ色の人がいて。あ、これだ。ジュリアン・プリースター。

小林:すごい! 本当に一緒ですね。

栗野:そうなんですよ。この本を改めて見てびっくりしました。きっと偶然なんだろうけど。

小林:これ、フロントにステッチ入ってないですよね?

栗野:いや、よく見ると前立てはあるんですよ。

小林:そうなんですね。でも、この色でなかなか揃いでは買わないですよねぇ。

栗野:こういうステッチだからブルックス(ブラザーズ)じゃないだろうし、前立てはよく見るとあるけど、ボタンは多分アクリルで。

小林:だから、あんまり高いブランドとかのものじゃないってことですね。

栗野:うん。下手すると化繊かもしれない。…っていうようなところを我々は見ちゃうんですよね(笑)。

小林:たった1枚の写真からね。

― 改めて、服好きって恐ろしいですね(笑)。

栗野:僕もさすがに小林さんみたいな人に会うとき以外は言わないですよ。そうじゃないと不審者でしょ(笑)。やっぱり洋服好きってものの見方がちょっとおかしいから、こういう風に見ちゃう。

小林:(笑)。

― 他にも何冊かお持ちくださってますよね?

栗野:はい。これはホックニー。

小林:ホックニーはもう、めちゃくちゃ影響されましたよ、俺。

栗野:やっぱりそうですか(笑)。ソックス?

小林:ソックスと、あと帽子ですね。あのクリケット帽。あれを野球帽に直して、自分のとこで製品にしたんです。

栗野:それが元ネタだったんだ? あ、これね。ホックニーのネガティブ履き。左右違う色のソックス、あの頃、 みんなやりましたよね。

セシル・ビートンとホックニー

英国の写真家、セシル・ビートン(左)とともに映った1970年の一葉。ホックニーの組んだ足から覗いている左右非対称なカラーソックスは、彼の洒落っ気の象徴として広く知られた。

マノロ・ブラニク・ロドリゲス

マノロ・ブラニク・ロドリゲスはスペイン出身のシューデザイナー。若くして頭角を現し、名だたるブランドのランウェイでも彼のシューズが足元を飾った。1973年、ロンドンに自身のショップ、ザパタをオープンしている。

小林:はい。ポロシャツの二枚重ねもね。カラフルさを出していくホックニーに対して、ギルバート・アンド・ジョージみたいにスーツを着ちゃうっていうのも、あれはあれでめちゃくちゃかっこいいなと思ってました。でも、ホックニーの写真を見ると、イギリス人のクリケット帽はやっぱりかっこいいなって思います。

栗野:あとはこの写真集。’60~70年代のロンドンのクリエイターのカルチャーを撮った人のもので、ここに写ってるのが1977年の(シューデザイナーの)マノロ・ブラニクで。だから48年前か。あ、僕が業界に入った年だ。

小林:おぉ~。この人、当時ザパタっていう有名なブランドをやってたんですよね。それがみんな好きで、俺も心打たれましたね。

栗野:そうでしたよね。このマノロが半袖のシャツでネクタイをして、パンツは本物のサルエルパンツ。それで素足で、たぶん靴は自分のザパタかな。これ、もう色々と超越してるでしょ(笑)。

小林:すごくいい写真ですね、これ。

栗野:僕もリアルタイムでは見れていないんですけど、この時代の空気感が好きだったから後年写真集を手に入れて、改めてこの写真を見たときに「あ、これだ!」って思って。こうやってザパタの名前が当たり前に出てくる時点で、小林さんに対談をお願いしてやっぱりよかったです。

小林:俺、この人一回だけニューヨークのお店で見かけたことがあるんですよ。変わった格好をしてる人だっていうのはみんなから聞いてたけど、妙な色のすげぇ変なスーツを着てて。

栗野:チェックでした?

小林:いや、チェックじゃなくて、なんか緑色の生地で、見た瞬間にすぐわかりました。

栗野:マノロは“これが自分流の気持ちいい格好だよ”っていう感じがすごくするんですよね。

小林:ある種の憧れというか、拍手に近い感覚ですよね。「あ! ここでやってんなぁ。かっこいいな、この人」っていう、そんな感じ。勝新(太郎)に対しても似たような感覚があって。

栗野:なるほどね。

小林:栗野さんも俺もファンキーな格好をする趣味は別にないじゃないですか? でも、ある一線を超えたりしてるファンキー具合はいつも憧れの対象なワケで。でも、別にその格好自体っていうよりも…。

栗野:人ですよね、結局気になるのは。「本当、よくやるな…!」っていう。そう言えば小林さんって、この時代は何してたんですか?

小林節正 / 栗野宏文
栗野宏文

栗野宏文 | くりのひろふみ

ユナイテッドアローズ上級顧問/クリエイティブディレクション担当

1953年、NY生まれ。ビームスを経て’89年にユナイテッドアローズの創業に参画しセレクトショップとしての確たる地位を築いた。現在は同社に関わりつつ、ジャーナリストとしても活動中。世界各国からその審美眼を頼る声が挙がる生粋のファッション業界人で、パリファッションウィークの観覧歴はもうすぐ40年。当日に着ていたシャツは、20年以上前のドリス ヴァン ノッテンのもの。

小林:’70年代後半ですか? その頃はイタリアにいました。

栗野:あ、靴の修行ですか!

小林:そうなんです。

栗野:マノロもイタリアで靴をつくったりしてましたけど、昔からああやってイギリスのシューデザイナーが生産をイタリアでやる、みたいな流れはあったんですか?

小林:と言うよりも、イタリア以外ではあんまり靴はつくれなかったんじゃないですかね。やっぱり受け入れ態勢がちゃんとしてたし、何より革屋がたくさんありましたから。その後どんどん潰れちゃいましたけど、あの頃は貴族出身の革屋さんとかがたくさんいた時代で、スエードならここ、カーフならこの会社っていう感じではっきり専業があって。

栗野:はいはい。なるほどね。

小林:それでレザーのカラーチャートとかを見せてもらうとそれがすごい幅で、あれを見ちゃったらイタリア以外じゃたぶん、つくれないですよね。

栗野:小林さんはフィレンツェに行かれてたんでしたっけ?

小林:はい。そこで(J.M.)ウェストンの底革が全部土中に埋まってるっていうのを知って、びっくりしましたね(笑)。

栗野:え!? どういうこと!?

小林:革を漬け込んでおく渋の樽が、全部土中にあるんですよ。日本のそば屋さんとかも元々は返しを土の中で保管したりしてましたけど、要はそうすると温度管理がすごい楽なんですよね。

栗野:へぇ~! ワインセラーみたいな感じですよね。

小林:そうそう。それで、漬け込んだ革を渋槽に漬けて、その渋樽を土の中に置いておくらしいんです。そうすると、安定した温度でゆっくり熟成されていくから。

栗野:いまだにそうなんですか?

小林:今はどうなんでしょうね。ウェストンは’80年代の後半に大きくつくり方が変わってるはずで、ゴルフとかの靴もそれ以前と以降だと使ってる中の部品が全然違うんですよ。それ以前は古来の芯材を使って古来のやり方でつくられてますけど、以降はプラスチックの部品とかも増えてきて。職人たちはずっといるみたいですけど、つくり方はそうやって変わってるから。あの時代…’70年代後半は今よりもシューデザイナーがたくさんいたんですよね。日本でもモゲ(勝見 茂)さんがいて、キサ(高田喜佐)さんもいて。

栗野:トキオ(熊谷 登喜夫)さんもね。

小林:ですね。あの時代に分業からいろんなことが始まっていったような気がするんですよ。総合的なデザイナーよりも分業の方が入りやすいし、靴にゆかりがあったり浅草みたいな産地にゆかりがあったりした人は、そうやって靴から始めた人も多かったと思います。

「半袖シャツってやっぱり
ファンクションの服ですよね」(小林)

― 小林さんもご地元は浅草ですよね?

小林:はい、ボロ屋の1階が靴の工場で2階で暮らしていました。小さい頃の浅草の景色だと、半袖というかやや長い7分袖のシャツって堅気になった人が彫り物を見せないために着てるものっていう印象が強いです。

― なるほど…袖丈からそんな側面も浮かんでくるんですね。

小林:半袖シャツって、袖が途中で切れてるその感じが意外と大変なんですよね。身幅と自分の体型に対してのバランスをどう取るのかっていう。

栗野:やっぱり半袖シャツってもともとおしゃれで着るものではないんですよね。マイク・ディスファーマーっていう、昔の労働者をたくさん撮っていた写真家がいるんだけど、その写真集に映ってる人たちの多くがやっぱり半袖シャツを着ているんです。アメリカンカルチャーが好きな人にとっては筋骨隆々な体でああいう風に袖を通すっていう着方が一種のバイブル的なものになるのかもしれないけど、自分とは真逆だし、僕自身は憧れない。

小林:長袖を捲れば済むところを、あえて肘から切っちゃってるわけだから、やっぱりファンクションの服なんですよね。ファッションマーチャンダイジングじゃなく、元々がしょうがなく着るもの。すごく立ち位置が不安定で、それが着づらさの原因なのかも。

― あくまで実用品ということですよね。

小林:それでも最初にアイビーを知って、ショートスリーブのボタンダウンのプルオーバーシャツを見たときにはめちゃくちゃ憧れましたけどね。その後ろに海岸っぺりで暮らす夏の休暇が見えたりして(笑)。そういう勝手な妄想が膨らんでくるところとか、好きでしたね。

栗野:やっぱり小林さんってそういう風に物にどんな背景があるのかとかをちゃんと知ってるじゃないですか?でも、それを売りにするわけでもなければ、「君たち、知らなきゃダメだよ」ってことも言わない。それに、“これが小林さん”っていう格好しかしないですよね。いわゆるファッションリーダーでもトレンディでもないし、世の中が軽い服をつくってるときにツイードのシリーズを始めたりとか。僕は物をつくれる人間ではないけれど、そういう人になりたいなってすごく思います。

小林:逆に俺らの世代は栗野さんにいろんな話を聞かせてもらって基礎ができましたから。ホワイトバックスの話だとか、本当に色々。あの階段の下の、奥の棚の前にビシッと立ってた栗野さんに。

栗野:ビームスFにいたときね。2坪半のあのお店で僕がバイトを始めた頃。

小林:行くと必ず栗野さんがいましたし、商品を眺めてるといいところで「その靴は…」って声をかけてくれるの。俺は「そうなんですか…!」ってずっと聞いてるだけの、ただのお客さん(笑)。

栗野: そこから10年くらい経って、小林さんがセットを始めたときに改めて紹介してくれた人がいて。「すごい才能ある人がいるから!」って。それで小林さんが見せてくれたのが忘れもしない、あのサイドゴアブーツでした。セットのファーストモデル。そこからですよね。ジェネラルリサーチを始めたときにはもう、UAで買い付けさせてもらってましたし。

小林:一番最初に買い付けてくれたのが栗野さんでしたね。それが’94年。俺は栗野さんのことをずっと知ってはいましたけど、自分が何もやってなかった頃から色々教えてくれたのは栗野さんだったし、気軽に物を頼めるような間柄ではなくて。だから、ジェネラルリサーチを始めたとき、「まずはあの人に見てもらおう」って思ったんです。

栗野:あの頃、ちゃんと物をつくってる人たちに対して生意気言っちゃったんだろうなぁ…。当時の僕も大概でした(笑)。

小林:栗野さんたちみたいに洋服をよく知ってる人たちが見ると、説明を受けなくてもこのつくり手がやりたかったのはこういうことだろうとか、工夫したのはここだろうなとわかるんですよね。それは、俺も最近はわかるから。そうやって気づいたポイントを言ってもらうと、こっちは「あ、その通りです。そうなんですよ」みたいな。やっぱりこの人はわかってくれるな、って。

栗野:今もよく覚えてますよ、あのダッフルコート。

小林:レザーのベルトをつけたやつですね。

栗野:あれを見たとき、こんなこと考える人がいるんだ…と思って、めちゃくちゃ嬉しかったな。

小林:あのとき(ファーストシーズン)は7型だけでしたからね。持ち歩くしかないから、全部きれいに畳んで黄色いバッグに詰めて。パンパンだけどバッグ1個に収まる量がそれくらいだったんです。たくさん持っていってもゴチャゴチャしてると見てもらえないと思ったから、さっと出して見てもらえる内容で。

小林節正

小林節正 | こばやし せつまさ

マウンテンリサーチ/
マウンテンフォークステーラリング ディレクター

1961年、東京都生まれ。製靴業を営む父の元でシューメイキングの世界を志し、渡伊を経て1993年にシューズブランド、セットを設立。翌年にはジェネラルリサーチを立ち上げた。2006年にその活動に区切りをつけると、マウンテンリサーチを筆頭に、様々なプロダクトの専業ラインから成る「....リサーチ」を展開。今秋より、石油系原料と距離を置いてものづくりを行うスモールコレクション、マウンテンフォークステーラリングを始動する。ここで袖を通したシャツは、商品化していないマウンテンリサーチの1枚。

オレンジ色のポーチ

前シーズンから打って変わって洋服なしで構成された、2000年春夏のジェネラルリサーチのコレクション。このオレンジ色のポーチは、そのインスタレーション発表時の招待状として関係者に送られた非売品。

「洋服屋じゃないっていう
自意識があったんです」(小林)

栗野:何年かして、こういうものも登場するっていう。

小林:うわ! ヤバいですね(笑)。

栗野:これは’99年だから、26年前です。

小林:洋服屋なのにほぼバッグだけの展示会をやってね(笑)。この頃、ロスのフレッドシーガルとか、たくさん買ってくれてたお店がいくつかあったんだけども、いろんな人たちにめちゃくちゃ怒られて。「何を一体やってるの!? みんなの期待がちゃんと集まってたのに!」って。

栗野:「服をやると思ってたのに」って?(笑)

小林:はい。たくさんポケットがあるところ(パラサイトシリーズ)からの次を見たくてこうやって展示会に来てるのに、何してるんですか、って。「こんなことじゃ本当にダメだ」ってフレッドシーガルの社長が言ってました。

栗野:本気で言ってたのね(笑)。

小林:で、後ろでニーナ(・ガルドゥーノ)がこうやって腕組んで頷いてるっていう。

栗野:(笑)。ニーナっていうのは天才的なバイヤーでね。彼女が仕入れたものは何だって売れるっていうような感じだったんですよ。すっごい格好良くて、きれいでおしゃれで。ネイティブアメリカンの血を引いてる、実にオリジナルな人なの。

小林:すごい改造したブロンコに乗ってるんですよね。

栗野:そうなんだ? 見てみたいな(笑)。で、その頃の僕はもう小林さんのことを知ってたから彼女に紹介したんです。なのに、このポーチですよ(笑)。

小林:(笑)。

栗野:ただこのポーチ、いまだに使ってます。打ち合わせのときに必要な小物とか、海外出張のときに変圧器やコード類とか入れたりして。この厚い生地でこの強度で、本当に便利。

― でも、なぜ小林さんはそんなことをされたんですか? ブランドが好調だったところに。

小林:洋服屋じゃないっていう自意識と、切羽詰まった感覚があったんですよね。ポケットたくさんをやった後、自分の中ではほぼあれがひとつのトップだったからそれをさらに上げてくのは能力的にも難しいなって。それで、噛み砕くことはできるけど、違う展開にするとしたら洋服じゃなくて…っていう感じでどんどん行っちゃったんでしょうね。まぁ、それをやった後は会社が相当危なかったですけど(笑)。

栗野:本当に大変だったんだ(笑)。

小林:でも、あれで“自分は洋服屋じゃない”っていうポイントは、なんとなく守れたんだと思います。

栗野:素晴らしい。そのあと本屋さんをやるとか、山方向にもっと踏み込んでいくとか、さらにはいまのこの時代にツイードをあんなに使って服づくりをやるとか。小林さんは自然にどんどんおもしろいところに向かっていってる。それが洋服にも表れてるなと思います。そのいろんな動物のやつ(刺しゅう)って、いつからでしたっけ?

小林:これはジェネラルの一番最後のとき、狂牛病の時代に“アメリカンミート”っていうテーマでやって、そこで牛を3つ並べたところから始まったんですよ。多分、2005年とかかな。もう20年くらい経ちましたね。

栗野:途中で動物の数、増えてません?

小林節正 / 栗野宏文
小林節正 / 栗野宏文
栗野宏文

小林:どんどん増えてます(笑)。基本は山に行くまでに見えたものなんですよ。キツネとかタヌキとか。よく“MOUNTAIN FOLKS”っていう言葉を使ってるのも、“山の連中”って意味で。そういうことばっかりやってます(笑)。

栗野:山は今もずっと行ってらっしゃるんですか?

小林:はい。毎月1週間から10日くらいは。月の4分の1くらいは山にいるようにしてます。安倍(昌宏さん。マウンテンリサーチデザイナー)たちがちゃんとやってくれるんで、自分がそのぐらい行ってても大丈夫なんです。山に行ったらヴィヴィアン(・ウェストウッド)のマウンテンハットを被って作業してます。

栗野:やっぱりそういうこと、やりますよね。僕も昔ヨセミテに行ったとき、どうしても自分らしい格好で行きたくて、コム デ ギャルソンを着て行きました。別に誰にも気づかれないし、家族には「何考えてるの?」って言われましたけど。

小林:自分的な一撃ってことですよね(笑)。

栗野:そうなんですよ。小林さんも僕も、真面目にバカなことをやったり、もしくはバカで真面目っていうのがやっぱり好きですよね。そうじゃなきゃ、出会った動物をシャツに入れようと思わないでしょ(笑)。

小林:(笑)。片山(正通さん)がこのシリーズのシャツを前に買ってくれたんですけど、次の年に「また今年も…」って見たら当然刺しゅうの柄と並び順が違うんですよ。で、「こういうのって変えないもんじゃないんですか…?」って言ってましたね(笑)。

栗野:真面目な人だったら、普通はそうなりますよね(笑)。ある日ラコステのワニが羊になってるようなもんだからね。別のブランドだよ、もう(笑)。でも、’80年代はラコステ風のワニが交尾してるブートとか、ありましたよね?

小林:ありましたね、乗っかってるヤツが。ああいうパロディがたくさん存在できておもしろい時代でしたよね。今はコンプライアンスがうるさいんで。

栗野:僕がUA でアンティパストっていうソックス屋さんといろんな企画をやってたんだけど、あるときその中でディズニーとコラボレーションできるかもって話になったんです。それで、何かネタがあるかとなるんですけど、だいたいみんなミッキーとかそういう風になるじゃないですか。でも僕はヴィラン、悪役でやりたくて。

小林:へぇ~!

栗野:『三匹の子豚』なら狼の方とか、『南部の唄』っていう結局再映中止になっちゃったアニメがあって、それは熊だったかな? 要はサイドキャラをソックスのアイコンにしようとしたんですよ。でも、結局アプルーバルが取れなくてアウトだったのかな。何が言いたいかっていうと、「わかりやすいアイコンだからこれをやってウケようぜ!」っていう感覚が小林さんにも僕にもないでしょ。自分たちしか意味を感じないアイコンだけど、その意味が伝わったらおもしろいよねっていう。出会った動物たちも、ディズニーの悪者も。

― 言ってみたら特定の人にだけわかる暗号みたいですね。

栗野:まさに!ファッションって暗号ですよね。

小林:それはそうっすよね。

栗野:シャツのボタンダウンだって、僕が中学で初めて見たときにはなんか前衛的なデザインだと思ったもん。

小林:(笑)。

― 「普通はパタパタしてるはずの襟にボタンがついてる…!」みたいな感じですか?

栗野:そうそう。そう思って気に入って着てたらちゃんとそこに訳があったり、それがトラッドだってことが後からわかって、またおもしろかったんだよね。

小林:後ろのループも一体なんだかわかんないし、最初はなんでボックスプリーツがあるのかもわからないですよね。物によっては後ろ側にボタンが付いてるやつもあったりで。それで『メンズクラブ』を読んでたら、こうこうこういう理由なんだ、ブルックスではボタンダウンって言わずにポロカラーシャツって言ってるんだ…とか、そういうことがわかって。

栗野:それでも日本人って真面目で勉強熱心だから、勉強してキャッチアップして、それでまたネタにしてくっていう欲求がありますよね。だから日本がおもしろくなったわけですし。それで今から20何年も前に、LAで一番売れてたセレクトショップの敏腕バイヤーがどこで捜し出したのか「ジェネラルリサーチをやりたい」って言って来ちゃうぐらいに日本っておもしろかったし、今もそうだと思う。それも小林さんが言うように、僕らはそもそも前段を知らなかったからできたおもしろさでもあって。

小林:そうですね。それはすごくデカいと思います。でも、’90sは例外的にフレッドシーガルみたいな付き合いもあったけど、基本的に外国の人の目は日本に向いてなかった時代ですよね。

栗野:本当に全然でしたよね。

小林:だからJONIO君がどんなに濃い内容のショーをやろうが、タキシンたちがどれだけ濃い内容のプロダクションをしようが、向こうだと一部の人が喜んでるだけでほぼ誰も知らない。だからすごい不思議な何年間かだったはず。2000年を超えてからしかみんな見に来なかったから。

「一生勘違いでも
全然いいと思います」(栗野)

栗野:インターネットとか、デジタルのおかげですよね。

小林:そうですね。個人発信できるようになったからだと思います。

― 今では多くの人にとって当たり前になってるトラッドやオーセンティックなものが新鮮なものとして経験できたっていうのは、正直うらやましく思ってしまうところがあります。

小林:今とはやっぱり状況が違ったからね。今でこそオーセンティックなのかもしれないけど、自分たちにとってはアイビーとかって最初に触れたときにはやっぱり知らない服ばっかりだったし、新しいものだった。栗野さんが言った通りで。

栗野:もちろんちゃんと研究はするし、本も読むけど、勘違いは僕はすごく好きで。多分、小林さんも好きだよね?

小林:そうですね。それがおもしろい。

小林節正

― それでいつか答え合わせをする日が来ると?

栗野:いや、一生勘違いでも全然いいと思います。いつか真実がわかったときの“本当はこうだったんだ”っていうことに価値を見出すのも悪くないけど、ずっと勘違いし続けることもクリエイティブにつながると僕はすごく思ってる。

小林:要は解釈だから。どの時代も個人の解釈ってやっぱりめちゃくちゃだったりするけど、それはある種の想像力。本当の話はいつか聞こえてきちゃうけど、それでも例えば古着の人たちとかは、みんな勘違いが大好きなんじゃない?「ここがこうなってるけど、それはこんな理由だったんじゃないか?」 とか。ほとんど嘘ばっかりだったりするんだけど(笑)、だからおもしろい。

栗野:確かにね。

小林:今はSNSあるから、誰かが間違ったことを言うとどんどん正されちゃうし、「こう思うんだけど」っていう適当な話が長続きさせてもらえないんですよね。

栗野:コンプライアンスとポリティカルコレクトネスがカルチャーをダメにするんですよ。ダメにするっていうと言い過ぎかもしれないけど、弊害は大きいよね。

― 真っ当な正論が熱量を奪ったり、文化を廃れさせるような場面はよく見かける気がします。

栗野:それも何をもって真っ当とするかっていうことだよね。今日の話はUAのオウンドメディアのものだから、スポンサーのある雑誌だったら言えないようなことも当然言えるわけ。もちろん、差別だとか誰かを傷つけるようなことは言わないけど、スポンサーがいないがゆえに言える話っていうのをこういう場所、このメンツで言いたい放題できるっていうのは素晴らしい。

小林:(笑)。自分は「概ね、こういう風なやり方です」って言われたら、そうじゃないやり方を常に探しちゃう。人に対して、前へ習えがやりづらいタイプなんだと思います。

栗野:ジェネラルリサーチっていう名前も、一般的に幅広く研究するっていうことで姿勢自体はすごく素直で好きなんだけど、ふたヒネりくらいした名前だなって思いますよ。全然ジェネラルじゃないじゃん、って(笑)。

小林:そうなんですよね(笑)。

栗野:小林さん、ジェネラル・アイディアっていうカナダにいた現代美術家、わかります?

小林:わかりますよ。大好きです。最初ヘルタースケルターっていう名前でブランドをやろうとして商標は取ったんですけど、もうその名前でやってる人たちが先にいて。彼らは商標は取ってなかったけど、そっちに譲ろうと思って「じゃあ何にしようかな」って考えていたんです。それで、当時ニューヨークによく行ってたんですけど、そこでジェネラル・アイディアの展示か何かを見たんですよね。

栗野:あ、本当に?

小林:はい。それで「おぉ!」と思って。しかもあの人たち、まともな作品つくらないでしょ。ワッペンつくったり、切手つくったりとかで。

栗野:そうそう。インチキな美人コンテストとかね(笑)。めちゃくちゃアヴァンギャルドで、ほとんど物をつくらない芸術家集団だった。

小林:そこで見た彼らはあんな感じで、それが洋服に対する自分のスタンスとちょっと似てたんですよね。まだ彼らも何の本も出してない頃でしたけど、ジェネラル・アイディアっていうゲイの3人組なんだな、っていうことまではわかって。アイデアに対して“ジェネラル”っていう字(あざ)をつけるところがおもしろくて、じゃあ俺は靴屋で洋服屋じゃないし、全然洋服のことはわからなくてリサーチしてるわけだから、ジェネラルリサーチでいいじゃんって。

栗野:本当にそうだったんだ!

小林:そうです。まったくご指摘の通りです。

栗野:小林さんと出会って31年目になるけど、初めて聞いたな…。しかも僕はジェネラル・アイディアは今は知ってるけど、最初は10年くらい前にパリのパレ・ド・トーキョーでデカい回顧展があって、それに偶然寄って彼らのことを知ったんですよ。

― 何の予備知識もなくですか?

栗野:そう。おかしなポスターが気になって、何も知らずに行ったんですよ。ぶらっと寄るだけのつもりが、それがあまりにもおもしろくて。いつか小林さんにその話をしたいなとずっと思ってたの。

小林:もう、本当嬉しいです。ジェネラル・アイディアのワッペンとか、細かいものもいまだに全部持ってますよ。

栗野:僕的に、今日一番それが感動しました。ジェネラル・アイディアとジェネラルリサーチに関係があったっていうのが。ネーミングだけじゃなく、発想に近いものを自分が勝手に感じてたから。

― 決してジェネラル…一般的じゃないっていう点も共通してますよね。

栗野:多分、一般と非一般の区別なんて誰かが言っただけで、実際にはないんですよ。

小林:だからこその“ジェネラル・アイディア”だったんでしょうね。

栗野:ジェネラルっていう言葉そのものに対して、ちゃんと人がもう一度考えたくなりますよね。

小林:そういう語感を持つ言葉だからおもしろいなって。でも、すごいですね(笑)。初めてですよ、人からこの話をされたのは。自分からジェネラル・アイディアの話を振った人はもちろん気づきますけど。

― ある意味、栗野さんの妄想だったものが実は核心を突いていたっていうことですもんね。

小林:僕らはそうやって不確かな情報が少しあるだけだったから、そういう妄想とか勝手な話がいろいろ始まっちゃうんですよね。今の人たちはそんな話よりも先に山のように情報があるから。

栗野:それで「何が正しいか」って話になっちゃうからね。半袖のシャツも、言ってみたらファンクションありきの服じゃないですか。地球温暖化が進む時代の。だから、“そもそも、服の楽しさってファンクションとかではないはずだよな”と思ってる人にとって、実用的すぎる半袖シャツには抵抗感があるのかもね。でも、そういう服に袖を通しておもしろく見えるのは、やっぱり自分を持ってる人。自分が出てる人。マノロみたいにね。それしかないですよ。

小林:それは僕もまったく同意見です。

栗野:その服に袖を通した姿にリアリティを感じられる人がおしゃれだと僕は思うし、一番見ていて気持ちがいい。誤解を恐れずに言えば、分相応というか。

小林:本当に。逆にそうじゃないもの、いつも着てないようなものを着てるときって、人は自信もなくなってくるから表情も微妙な感じになっちゃうだろうし。

― ほんの少しの差かもしれませんけど、その違いはすごく大きい気がします。

栗野:僕らは妄想で生きてきたし、妄想を抱かせるようなものをずっと追っかけてきた。それが僕や小林さんを、こうやって遠くまで連れてきてくれたんだと思います。

小林:自分だけにしか浮かばない話ですからね。誰もが考えるようなことだけど、それは絶対に誰とも違うから。なるべく人と違うものを見つけて、それを長い時間かけて一生懸命やる。それが伝わるんだと思う。昨日今日じゃ、やっぱりそれは難しいしね。

栗野:そこにHOW TO はないから、みんな自分で見つけよう、って感じですよね。

小林:でも、結局半袖のシャツの話、ほとんどしてないですね。これ大丈夫ですか?(笑)

栗野:いいんじゃないですか(笑)。もっと、根っこの部分の話ができたから。

小林節正
小林節正 / 栗野宏文