Our Discovery 02 Le Corbusier

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2025.10.01  NEW

Our Discovery 02 Le Corbusier
ル・コルビュジエに思いを馳せて
着る人や住み人のことを考えながら作り上げる過程など、ファッションと建築には共通点が多い。
洋服やライフスタイルにこだわりを持つ人たちが、住む空間や建築に興味を示すのも、ごく自然なことなのかもしれない。スイスに生まれパリで活躍したル・コルビュジエは、20世紀に発展した近代建築において多大な功績を残した巨匠として知られ、今季のウイメンズのインスピレーションのひとつになった。建築の分野だけでなく、ファッションデザイナーにも影響を及ぼしてきたこの唯一無ニの建築家の魅力を、アートと建築のライターとして活躍する河内タカがナビゲート。
Writer:Taka Kawachi
Editor:Katsuya Kondo
Illustrator:Koji Mayumi
ル・コルビュジエ Le Corbusier(1887-1965)

ル・コルビュジエ Le Corbusier(1887-1965)

スイスで生まれ、主にフランスで活躍。近代建築の発展において最も影響力を及ぼした建築家の一人。画家としてもキュビスムを純化して、より明確で端正な形態を追究した「ビュリスム」の提唱者として多くの作品を残した。

モダニズム建築の礎を造った偉大な建築家ル・コルビュジエ
20世紀の建築界において多大な影響を及ぼしたル・コルビュジエ。実はこのル・コルビュジエというのはペンネームで、本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレという。Corbeauはフランス語で「カラス」の意味し、彼の鋭い面長の横顔がまるでカラスのようであったことからこのペンネームを使い始めたと言われている。
ル・コルビュジエは1887年にスイス北西部の時計製造の街で知られるラ・ショー=ド=フォンに生まれ、自身も時計職人になるために彫金を学んでいたのだが、弱視が要因となりその道を諦め画家と建築家を志すようになった。24歳の時、半年間かけてベルリンから東欧、トルコ、ギリシャ、イタリアを巡る旅をした後、従弟のピエール・ジャンヌレと建築事務所を設立し、以降、建築家として旺盛な活動を展開した。また建築だけでなく、ピエール・ジャンヌレと部下だったシャルロット・ペリアンとともに、「LCシリーズ」に代表される家具デザインを手掛けたことでも知られている。
新しい建築様式を目指してコルビュジエが提唱したのが「近代建築の5原則」だ。ピロティ、屋上庭園、自由な平面、水平連続窓、自由なファサードからなるこの原則によって、安く量産可能な住宅づくりを可能にし、建築の自由度を上げ、合理性を追求するモダニズム建築の基礎となっている。その結果、コルビュジエは世界的な規模で影響を及ぼす最重要人物となっていく。
5原則の中で最もコルビュジェらしさが感じられるのが、建物一階の壁を取り払い、箱のような形状の上階部分を柱で支えるピロティと自由な平面だろう。それまでの伝統的な建物は、斜め屋根を石や煉瓦で支えられていたのに対し、平らな屋根を鉄やコンクリートやガラスといった新素材で支えることで、空間を広く設けることができ自由な間取りが可能となったのだ。このような工法は今ではごく当たり前になったわけだが、実はコルビュジエの発明がその最初の第一歩だったというわけだ。
近代建築の先駆者であるル・コルビュジエは、日本の建築家たちに大きな影響を与えたことでも知られている。パリの事務所の所員であり弟子だった前川國男と坂倉準三と吉阪隆正は、直にコルビュジエから受け継いだ建築スタイルを取り入れることで、戦後の日本の建築界を牽引するような活躍をした。また直接的な教えを受け
ていなかったものの、代々木第一体育館や東京都庁舎などを設計し「世界のタンゲ」とも言われた丹下健三は、雑誌でコルビュジエの都市計画を見て建築家を志し、安藤忠雄もまたコルビュジエに強い影響を受けた建築家として知られている。
今回ここで紹介する4つの建築は、コルビュジエの初期・中期・後期における代表作。両親のために建てた「小さな家」、近代建築の5原則のすべてを取り入れた「サヴォア邸」、独特の造形の「ロンシャンの礼拝堂」、そして日本での唯一の作品「国立西洋美術館」で、それぞれの建築を比べると時代に沿ってコルビュジエのスタイルの移り変わりを感じてもらえるはずだ。
Villa Le Lac
両親のために建てた湖畔の住居「小さな家」
ル・コルビュジエ Le Corbusier(1887-1965)

写真:Artur Images/アフロ

ル・コルビュジエが36歳の時に、自分の両親のために設計して建てたのが「Villa Le Lac」、日本では「小さな家」として知られる住宅だ。延床面積約60㎡、奥行き4m、長さ16mの東西に細長い平屋の建物なのだが、コルビュジエが設計し晩年に住んでいた8畳ほどの南仏の休暇小屋と同じく、人が住むための最小限住宅というテーマを突き詰めた初期作品だ。
スイス西部のレマン湖北岸の避暑地に建てられたこの家は、通常の敷地を見つけてから設計図を描くというやり方ではなく、南向きで山並みを背に湖が広がり、そこに映るアルプスの山々が見渡せることを構想した。コルビュジエはこの家の図面をまず先に描き上げ、それからプランに合致する理想的な場所を見つけ、そこにぴたりと収まるようにこの家を建てたのだ。
道路側に面した中央の玄関から室内に入ると、右側に台所とユーティリティー、左側に片面の壁が青に塗られたリビングルーム、そしてべッドルームの隣に洗面所とバスルームというシンプルなレイアウトとなっている。細長の空間を切り詰めていき、機能的に連続させたような空間は当時としてはかなり目新しく、このような建築様式をコルビュジエは「住むための機械」という言葉で表現した。
細長のこぢんまりとした空間でありながら、さほど窮屈さを感じさせないのは、湖に面し片側の壁に11mの水平の窓が真っ直ぐに貫いているから。「この家の主役」とコルビュジエが呼んだ水平連続窓からは、レマン湖とアルプスの山々の美しい景観が眺められるばかりか、湖に反射した光が室内を明るく照らすことで、この家に開放感と視覚的な奥行きをもたらしている。さらに西側にある階段を登ると屋上庭園があり、石積みの外壁に開けられた窓からは湖や山々の景観を楽しめるという具合になっている。

小さな家は機能性を最優先させ、できるだけ無駄を排除した実験的なものとして造られたものの、「コルビュジエの親はここで日々心地よく暮らしていたんだろうなぁ」と思わせるほど住むための機械といった冷たさは感じられない。逆に息子の深い愛情が感じられる工夫が隅々まで施されていて、まさに暮らしを豊かにしてくれる住居空間になっている。

Villa Savoye
コルビュジエの建築思想が反映された住宅「サヴォア邸」
ル・コルビュジエ Le Corbusier(1887-1965)

写真:Alamy/アフロ

パリ郊外のポワシーにある「サヴォア邸」は、ル・コルビュジエが1928年に設計を開始し、1931年に完成した20世紀の住宅建築の最高傑作の一つ。コルビュジエの「白の時代」と言われる期間の代表作で、僕がサヴォア邸を訪れた日は、幸い秋の晴天に恵まれ、緑深いプロムナードを抜けた先に真っ白な建物が現れた瞬間、感動のあまり青空とのコントラストもあって厳かな気持ちになってしまったほど。
サヴォア邸は、コルビュジエが提唱した「近代建築の5原則」のすべての要素を体現した、自身にとっても大きな節目となった作品だ。広々とした緑地に建てられているため、360度から眺めることができるのだが、2階部分の水平連続窓、そして白と緑に塗り分けられた壁に家に入る前から気持ちが高ぶり、その高揚感のまま中に入ると、写真で何度も見ていた白い螺旋階段にさらに息を飲んでしまう。螺旋階段のすぐ横からはスロープが延びていて、そのどちらかで上階に上がることができる。
この住宅の生活空間は2階部分に集約されているのだが、現代の基準から見てもかなり広々としたリビングルームにはLCシリーズの家具が置かれ、大きなガラス窓を通して中庭を眺めることができる。リビングの横にキッチン、螺旋階段の奥にブルーのタイル張りのバスタブがあるべッドルーム、その横に壁の色が塗り分けられた子供部屋、さらに書斎へと続き、ピエール・ジャンヌレが手がけたインテリアや色使いが絶妙。隣接するテラスも外からは見えないように巧みに設計されていて、中庭から別のスロープを登っていくと屋上庭園へと辿り着くという流れになっている。
室内を歩き回ることで、建築を体感するように設計されているサヴォア邸は、建築そのものを見せるための仕掛けが盛り込まれているのが特徴で、コルビュジエはそれを「建築的プロムナード」と名付けた。直線のスロープと曲面の螺旋階段を使って室内外を巡る動線や、室内からだけでなく、中庭や屋上庭園からも周囲の風景を切り取って見せる窓によって、それぞれの場所で異なる景観を演出している。コルビュジエの建築思想のすべてが詰め込まれたこの邸宅は、今もなお刺激的を与えてくれる凄みのある建築なのだ。
Chapelle Notre-Dame-du-Haut
様々な光を体感できる静なる空間「ロンシャンの礼拝堂」
ル・コルビュジエ Le Corbusier(1887-1965)

写真:Science Photo Library/アフロ

フランス東部フランシュ・コンテ地方のロンシャンは、中世からキリスト教徒の巡礼地として聖地のような場所だった。しかし、第二次世界対戦中にナチス・ドイツ軍によってかつての礼拝堂は破壊されてしまった。やっと戦争が終わると、地元の住人たちは礼拝堂の再建を強く望み、コルビュジエと親交があったアラン・クチュリエ神父を通じて設計が依頼され、約4年の歳月をかけて1955年6月30日に完成したのが「ロンシャンの礼拝堂」だ。
この礼拝堂は、サヴォア邸によって表現された「近代建築の5原則」に基づく機能性や合理性を重視したモダニズム建築から離れ、直線的ではなく彫刻的な曲面と丸みを持っていて、コルビュジエが別の次元の建築を追求したと言っていいほどの斬新な形状だ。カニの甲羅を形どったと言われるその彫塑的な屋根は、一見すると分厚く重量感があるように見える。しかし、鉄筋コンクリートによるシェル構造を採用することで見た目より薄く、またその屋根と厚い壁の間に10cmほどのスリットが開けられているのも、「重い壁を軽く見せ、軽い屋根を重く見せる」という考えに基づいているからだ。
町はずれの丘の上に建てられているこの礼拝堂は、普段は参拝者たちが残したローソクが灯る静かな祈りの空間である。礼拝堂への出入り口は、壁の塊の隙間をすり抜けるように設けられ、主祭壇、3つの小祭壇、そして告解室がある。仄暗い礼拝堂には様々な光が拡散し神秘的な空間を演出しているのだが、これは分厚い壁に開けられた窓に色とりどりのステンドグラスがはめ込まれ、それらを通して礼拝堂全体に光が拡散しているというわけだ。
3つの塔の下に設けられた小祭壇にはトップライトからの光が降り注ぎ、伝統的なキリスト教建築のステンドグラスによる雰囲気とはどこか趣が異なる軽やかな空間を作り出している。晩年のコルビュジエの自由な発想がいかんなく発揮されたこの礼拝堂は、今やコルビュジエ建築のファンにとっての聖地となり、交通の便も悪くなかなか行きにくい場所でありながらも、世界中からこの地へと向かう人が後をたたないというのも理解できるはずだ。
The National Museum of Western Art
世界遺産に登録されている美術館「国立西洋美術館」
ル・コルビュジエ Le Corbusier(1887-1965)

写真:椿雅人/アフロ

ル・コルビュジエが日本で設計した唯一の建造物、それが上野公園にある「国立西洋美術館本館」だ。川崎造船所の社長だった松方幸次郎の美術コレクションを収蔵・展示する施設の建造に向けて、設計の依頼を受けたコルビュジエが来日したのが1955年11月のことだった。
コルビュジエは、建設予定地へ5回も足を運ぶとともに京都や奈良を訪れ、桂離宮や東大寺、古寺の庭や敷石、京都の細い路地などをスケッチと写真撮影をして構想を膨らませたという。そして帰国後、パリの事務所から送られてきた設計案は、なんと美術館だけでなく、講堂や図書館の入る付属棟、劇場ホール棟を含む大規模なものだったのだが、戦後の復興時で予算に限界があり、当初の計画通り美術館のみが建造され1959年3月に竣工した。
美術館本館を正面から見ると、出入り口付近には壁がなく、柱たけで建物を支えていることに気づくはずだが、これが「ピロティ」と呼ばれる工法で、箱型の平らな構造物を柱で支えることで、より広く自由な間取りが可能となったのだ。1階中央にコルビュジエが自ら名付けた「19世紀ホール」があり、天窓から光が入りこむ天井高の吹き抜けには、ロダンの彫像が立ち並ぶ美しい空間となっている。
ここからスロープを使って上階へ登っていくわけだが、これはゆったりとした傾斜を登りながら19世紀ホールの景観を楽しめるようにという思いがあったそうだ。
2階の展示室が螺旋状の回廊となっている理由は、コレクションが増えて展示用の空間がさらに必要となった場合に備え、建築そのものを外へ外へと拡張できる「無限成長美術館」として設計されていたから。結局この構想は実現されなかったのだが、美術館の将来を見据えたプランを最初から取り入れていたことに驚かされる。
ル・コルビュジエが設計した建築作品は今も世界各地に約70件が現存し、その中において国立西洋美術館は、自身が提唱した「近代建築の5原則」が明解に盛り込まれていたことと状態が良好だったことで、2016年7月に他の16作品とともに晴れて世界遺産に登録された。建物自体が美術品だと言える国立西洋美術館は、館内を歩いて体験すること自体がアートになっている建物であり日本の誇りなのだ。
河内タカ Taka Kawachi
アートライター。サンフランシスコの美術大学を卒業し、NYに拠点を移し展覧会のキュレーションや写真集を数多く手がける。30年間に及んだ米国生活を終え帰国し、アートや建築にまつわる執筆活動を行う。著書に『アートの入り口』(太田出版)や『芸術家たち』(アカツキプレス)があり、今秋に『Silver』で連載中の「日本のモダニズム建築」に関する新刊が予定されている。
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