Our Discovery 01 Gerhard Richter
ALL
2025.09.24
Our Discovery 01 Gerhard Richter
ゲルハルト・リヒターを探る
ゲルハルト・リヒターを探る
Text & Illustration : Nanako Kakei
Edit : Katsuya Kondo
Edit : Katsuya Kondo
衣服が生み出されるまでにはさまざまな背景がある。
多くの文化が混ざり合い生まれる衣服だが、その中でもアートが与える影響は大きい。今季ユナイテッドアローズ メンズのシーズンテーマ「Mash Up」の着想源のひとつとなったゲルハルト・リヒターは1960年代より活動を始め、現代に至るまで数多くの名作を世に送り出してきた。
90歳を超えた今でも意欲的に活動を続ける彼はどのような足跡を辿り、どんな作品を生み出してきたのか。現代美術・装飾史を専門とする研究者であり、ライターの筧菜奈子とともに紐解いていこう。
多くの文化が混ざり合い生まれる衣服だが、その中でもアートが与える影響は大きい。今季ユナイテッドアローズ メンズのシーズンテーマ「Mash Up」の着想源のひとつとなったゲルハルト・リヒターは1960年代より活動を始め、現代に至るまで数多くの名作を世に送り出してきた。
90歳を超えた今でも意欲的に活動を続ける彼はどのような足跡を辿り、どんな作品を生み出してきたのか。現代美術・装飾史を専門とする研究者であり、ライターの筧菜奈子とともに紐解いていこう。

リヒターの絵画において「見る」とは何か
ゲルハルト・リヒターは、現代絵画における最高峰の画家である。その作品は、人間の視覚そのものの本質に迫る試みとして位置づけられる。油彩、ラッカー、エナメル、ガラス、写真など、多様な素材を扱いながらも、リヒターは常に「平面絵画」という形式に真摯に向き合い続けてきた。
現代においては、写真のみならずAIによる画像生成など、視覚表現をめぐる技術革新がめざましく進み、絵画という表現形式そのものの意義や役割が改めて問われている。しかし、こうした急激な変化のただ中にあっても、リヒターの作品が人々の視線を強く引きつけてやまないのは、そこに「絵画でしか到達しえない何か」が、確かに宿っているからにほかならない。
リヒターは、1932年2月9日にドイツ南東部のドレスデンに生まれ、社会主義政権下の東ドイツで育った。ドレスデン芸術アカデミーで絵画を学び、若くして壁画家として成功を収めたものの、やがて社会主義体制の政治的な制約に耐えられなくなり、1961年、ベルリンの壁が築かれる直前に、民主主義を掲げる西ドイツへ移住する。
西ドイツでの制作活動は、リヒターにとって自由な表現の可能性に満ちたものであった。リヒターは精力的に作品を発表し続け、39歳でデュッセルドルフ芸術アカデミーの教授に就任。その活動は国内外で高く評価され、やがて、現代絵画を代表する世界的な芸術家としての地位を確立していった。
後に詳しく紹介するように、リヒターの作品は、写真を精緻に模写した絵画や、複数の鏡を用いたインスタレーション、さらには絵具をキャンバス全体に引き延ばした抽象絵画など、形式も素材も多様に見える。しかし、それらの根底には一貫して、「私たちの視覚認識そのものに対する根源的な疑念」が通奏低音のように流れている。
私たちは普段、目の前にある物や風景を、客観的かつ正確に捉えていると信じて疑わない。だがリヒターは、私たちの視覚や脳が、実際には自身の都合に応じて世界を恣意的に解釈し、像を無意識のうちに改変している可能性があると考える。こうした視覚の不確かさに抗うため、彼は作品制作において主観性の排除を徹底した。他者が撮影した写真を忠実に模写する絵画や、偶然に生じた絵具の痕跡をそのまま画面に定着させた抽象作品は、その姿勢の現れである。
それでは具体的に、リヒターの作品にはどのような特徴があるのだろうか。その多様な表現の中には、どのような意図や仕掛けが潜んでいるのだろうか。リヒターは、複数のシリーズを並行して継続的に手がけてきたが、そのいずれにも一貫した問題意識が通底している。ここからは、それらのシリーズを一つひとつ詳しく見ていこう。
ゲルハルト・リヒターは、現代絵画における最高峰の画家である。その作品は、人間の視覚そのものの本質に迫る試みとして位置づけられる。油彩、ラッカー、エナメル、ガラス、写真など、多様な素材を扱いながらも、リヒターは常に「平面絵画」という形式に真摯に向き合い続けてきた。
現代においては、写真のみならずAIによる画像生成など、視覚表現をめぐる技術革新がめざましく進み、絵画という表現形式そのものの意義や役割が改めて問われている。しかし、こうした急激な変化のただ中にあっても、リヒターの作品が人々の視線を強く引きつけてやまないのは、そこに「絵画でしか到達しえない何か」が、確かに宿っているからにほかならない。
リヒターは、1932年2月9日にドイツ南東部のドレスデンに生まれ、社会主義政権下の東ドイツで育った。ドレスデン芸術アカデミーで絵画を学び、若くして壁画家として成功を収めたものの、やがて社会主義体制の政治的な制約に耐えられなくなり、1961年、ベルリンの壁が築かれる直前に、民主主義を掲げる西ドイツへ移住する。
西ドイツでの制作活動は、リヒターにとって自由な表現の可能性に満ちたものであった。リヒターは精力的に作品を発表し続け、39歳でデュッセルドルフ芸術アカデミーの教授に就任。その活動は国内外で高く評価され、やがて、現代絵画を代表する世界的な芸術家としての地位を確立していった。
後に詳しく紹介するように、リヒターの作品は、写真を精緻に模写した絵画や、複数の鏡を用いたインスタレーション、さらには絵具をキャンバス全体に引き延ばした抽象絵画など、形式も素材も多様に見える。しかし、それらの根底には一貫して、「私たちの視覚認識そのものに対する根源的な疑念」が通奏低音のように流れている。
私たちは普段、目の前にある物や風景を、客観的かつ正確に捉えていると信じて疑わない。だがリヒターは、私たちの視覚や脳が、実際には自身の都合に応じて世界を恣意的に解釈し、像を無意識のうちに改変している可能性があると考える。こうした視覚の不確かさに抗うため、彼は作品制作において主観性の排除を徹底した。他者が撮影した写真を忠実に模写する絵画や、偶然に生じた絵具の痕跡をそのまま画面に定着させた抽象作品は、その姿勢の現れである。
それでは具体的に、リヒターの作品にはどのような特徴があるのだろうか。その多様な表現の中には、どのような意図や仕掛けが潜んでいるのだろうか。リヒターは、複数のシリーズを並行して継続的に手がけてきたが、そのいずれにも一貫した問題意識が通底している。ここからは、それらのシリーズを一つひとつ詳しく見ていこう。
ゲルハルト・リヒター
1932年、ドイツ・ドレスデン生まれ。現代を代表する美術家の一人。写実や抽象絵画、ガラスを使った作品など、多様な手法を通じて、人間の視覚認識の本質を問い直し続けている。
1932年、ドイツ・ドレスデン生まれ。現代を代表する美術家の一人。写実や抽象絵画、ガラスを使った作品など、多様な手法を通じて、人間の視覚認識の本質を問い直し続けている。
リヒターの作品シリーズ
意外に思われるかもしれないが、リヒターの作品の核心をもっとも端的に示しているのは、絵画ではなく、ガラスを用いた作品である。たとえば、初期の代表作《4枚のガラス》(1967)では、鉄枠に収められた4枚の板ガラスが水平軸で回転し、鑑賞者はそこに映り込む自分自身や周囲の像を見ることになる。
かつて絵画は「世界を映す窓」と言われたが、リヒターは窓の素材であるガラスを実際に用いながら、窓の向こうの景色ではなく、ガラスに反射する曖昧で流動的な像を提示する。もし、この反射という現象を絵画と呼ぶことができるのなら、それは、常に「今・ここ」にある現実を、直接かつ即時的に映し出す、きわめて現代的な絵画表現であると言えるだろう。こうしたリヒターのガラス作品に向き合うとき、私たちが普段「見えている」と思い込んでいる視覚そのものが、実はこのように移ろいやすく、不確かな像に過ぎないのではないか、という問いが立ち現れてくるのである。
意外に思われるかもしれないが、リヒターの作品の核心をもっとも端的に示しているのは、絵画ではなく、ガラスを用いた作品である。たとえば、初期の代表作《4枚のガラス》(1967)では、鉄枠に収められた4枚の板ガラスが水平軸で回転し、鑑賞者はそこに映り込む自分自身や周囲の像を見ることになる。
かつて絵画は「世界を映す窓」と言われたが、リヒターは窓の素材であるガラスを実際に用いながら、窓の向こうの景色ではなく、ガラスに反射する曖昧で流動的な像を提示する。もし、この反射という現象を絵画と呼ぶことができるのなら、それは、常に「今・ここ」にある現実を、直接かつ即時的に映し出す、きわめて現代的な絵画表現であると言えるだろう。こうしたリヒターのガラス作品に向き合うとき、私たちが普段「見えている」と思い込んでいる視覚そのものが、実はこのように移ろいやすく、不確かな像に過ぎないのではないか、という問いが立ち現れてくるのである。

bfa.com/アフロ
© Gerhard Richter 2025 (25072025)
「フォト・ペインティング」は、リヒターの作品群のなかでも、最も印象的なシリーズの一つと言えるだろう。1962年から始まったこのシリーズでは、写真を油彩で丹念に模写した上で、画面をやわらかく擦ることで、絵画ならではのブレを生み出している。こうして生み出されたイメージは、写真よりもむしろ、ガラスに映し出される不確かな像を思わせる。初期には、家族や身の回りの物の写真を模写していたが、やがて週刊誌や新聞の報道写真も描き写すようになり、戦争や犯罪にまつわる人物が数多く描かれている点も注目される。

ロイター/アフロ
© Gerhard Richter 2025 (25072025)
リヒターは、これらの元となる膨大な写真資料を蒐集しており、それらは『アトラス』というタイトルで出版されている。アトラスとは、地図帳を意味する単語であるとともに、神話に登場する天を支える巨人の名でもある。その名を冠したこの書籍は、リヒターの創作を支える地図帳という意味合いも帯びているのかもしれない。
1966年から始まった「カラーチャート」シリーズは、画材店に並ぶ色見本を、すでに「絵画そのもの」と感じたリヒターの直感から生まれた。最小で2色、最大で4096色に及ぶカラーチャートが制作されている。色の配置は、そこから何らかのイメージや意味を読み取ろうとする脳の働きを回避するよう意図的に配列されている。2007年には、リヒターはケルン大聖堂のステンドグラス制作を手がけ、このカラーチャートの手法を用いた抽象的な窓を完成させた。特定のイメージを持たない純粋な色の光は、かえって神のような超越的存在を暗示する。

REX/アフロ
© Gerhard Richter 2025 (25072025)
その一方で、リヒターは「グレイ・ペインティング」と呼ばれる、グレイ一色で構成されたシリーズも手がけている。グレイとは、あらゆる色を混ぜ合わせたときに現れる、いわば色の終着点とも言える色である。極彩色のカラーチャートと、その対極にある無彩のグレイ。リヒターはこの両極を表現することで、私たちの視覚を成り立たせているあらゆる要素を見せようとしているのかもしれない。
1976年から、リヒターは最も抽象的なシリーズである「アブストラクト・ペインティング」の制作を始め、1980年代には、制作にスキージと呼ばれる道具を導入した。スキージは、ガラス清掃にも使われる平たいヘラ状の器具で、絵具を広い面に均一に伸ばすことができる。リヒターは、キャンバスの幅に合わせた大型のスキージを使い、絵具の乗った画面全体を押し引きすることで、色彩を何層にもわたって重ねていく。
このとき、絵具の広がり方や混ざり方には、毎回偶然の要素が入り込む。どの色を用いるかはリヒター自身が決定しているが、スキージを動かすたびに何が起こるかまでは完全には制御できない。ときには、摩擦によって下層の絵具が削られ、過去に重ねられた色の層が思いがけず露出することさえある。こうした偶然の要素について、リヒターは、「イメージとは偶然に授けられるもの」と語っている。偶然と協働することで、絵画に新たな可能性を開こうとしているのだ。こうして完成された作品は、絵画という形式でありながらも、むしろ絵具そのものの物質性と運動の痕跡を強く感じさせるものとなっている。
1976年から、リヒターは最も抽象的なシリーズである「アブストラクト・ペインティング」の制作を始め、1980年代には、制作にスキージと呼ばれる道具を導入した。スキージは、ガラス清掃にも使われる平たいヘラ状の器具で、絵具を広い面に均一に伸ばすことができる。リヒターは、キャンバスの幅に合わせた大型のスキージを使い、絵具の乗った画面全体を押し引きすることで、色彩を何層にもわたって重ねていく。
このとき、絵具の広がり方や混ざり方には、毎回偶然の要素が入り込む。どの色を用いるかはリヒター自身が決定しているが、スキージを動かすたびに何が起こるかまでは完全には制御できない。ときには、摩擦によって下層の絵具が削られ、過去に重ねられた色の層が思いがけず露出することさえある。こうした偶然の要素について、リヒターは、「イメージとは偶然に授けられるもの」と語っている。偶然と協働することで、絵画に新たな可能性を開こうとしているのだ。こうして完成された作品は、絵画という形式でありながらも、むしろ絵具そのものの物質性と運動の痕跡を強く感じさせるものとなっている。

REX/アフロ
© Gerhard Richter 2025 (25072025)
代表作《ビルケナウ》
近年の代表作として知られるのが、4点組の抽象絵画《ビルケナウ》(2014)である。一見すると「アブストラクト・ペインティング」に見えるが、その下層にはアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で密かに撮影された写真が描かれている。その写真には、複数のユダヤ人の遺体が焼却される場面が写し出され、2022年に東京国立近代美術館で作品が展示された際には、その4枚の写真もあわせて展示された。
制作にあたりリヒターは、プロジェクターで写真をキャンバスに投影し、輪郭をなぞるように描き写したが、制作は約1年間停滞した。その後、スキージで白・黒・赤茶・赤・緑の絵具を幾層にも塗り重ねられ、最終的に画面には抽象的な色面のみが残された。
以前から、リヒターは、ホロコーストやナチスを主題とする試みを繰り返してきた。自身と家族の歴史が、ナチズムや戦争に深く関わっていたからだ。彼の少年時代は第二次世界大戦と重なり、13歳で故郷ドレスデンが空襲される様子を疎開先から目撃している。叔父ルディは西部戦線で戦死し、精神疾患のあった叔母マリアンネはナチスの安楽死政策により餓死させられた。こうした個人史は、「フォト・ペインティング」に反映され、叔父叔母の肖像写真だけではなく、安楽死政策を推進した人物の写真も模写された。ほかにも、ホロコーストの写真にけばけばしい色を塗ったり、ポルノグラフィのイメージと並置したりすることで、悲劇的イメージを見る私たちの無自覚な加害性を告発してもいた。
このように、ナチスとその加害の歴史は、リヒターにとって一貫した主題であり続けたが、その表現に常に深いためらいと逡巡を抱いていた。彼自身、収容所で隠し撮りされた写真について、「写真だけで十分に衝撃的で、他に何かを付け加えることはできない」と語っている。写真があまりにも真実を写し出しているゆえ、手を加えることでその真実性を損なう恐れがあったのだ。リヒターはその葛藤を、写真を絵具で覆い隠す行為に置き換えた。《ビルケナウ》において、絵具は何かを描き出すものではなく、「見ること」の限界を示すベールとなっている。私たちは写真を見ることでホロコーストを理解したつもりになるが、実際に何があったのかを真に理解することはできない。どれほど証言や記録を目にしても想像には限界がある。重ねられた絵具は、その知りえなさを可視化し、見る者に絶望的な断絶を突きつけるようだ。
それでも、作品から何も感じ取れないわけではない。完成した《ビルケナウ》の画面には、赤と緑がわずかに浮かび上がる。補色関係にあるこの2色は、視覚的に最も鮮烈に響き合う組み合わせである。たとえ下層の写真のイメージが、塗り重ねられた絵具によって完全に覆われていても、この鮮烈な色の対比は、作品の奥底に私たち人類にとって痛烈な記憶が横たわっていることを示唆しているようだからだ。
近年の代表作として知られるのが、4点組の抽象絵画《ビルケナウ》(2014)である。一見すると「アブストラクト・ペインティング」に見えるが、その下層にはアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所で密かに撮影された写真が描かれている。その写真には、複数のユダヤ人の遺体が焼却される場面が写し出され、2022年に東京国立近代美術館で作品が展示された際には、その4枚の写真もあわせて展示された。
制作にあたりリヒターは、プロジェクターで写真をキャンバスに投影し、輪郭をなぞるように描き写したが、制作は約1年間停滞した。その後、スキージで白・黒・赤茶・赤・緑の絵具を幾層にも塗り重ねられ、最終的に画面には抽象的な色面のみが残された。
以前から、リヒターは、ホロコーストやナチスを主題とする試みを繰り返してきた。自身と家族の歴史が、ナチズムや戦争に深く関わっていたからだ。彼の少年時代は第二次世界大戦と重なり、13歳で故郷ドレスデンが空襲される様子を疎開先から目撃している。叔父ルディは西部戦線で戦死し、精神疾患のあった叔母マリアンネはナチスの安楽死政策により餓死させられた。こうした個人史は、「フォト・ペインティング」に反映され、叔父叔母の肖像写真だけではなく、安楽死政策を推進した人物の写真も模写された。ほかにも、ホロコーストの写真にけばけばしい色を塗ったり、ポルノグラフィのイメージと並置したりすることで、悲劇的イメージを見る私たちの無自覚な加害性を告発してもいた。
このように、ナチスとその加害の歴史は、リヒターにとって一貫した主題であり続けたが、その表現に常に深いためらいと逡巡を抱いていた。彼自身、収容所で隠し撮りされた写真について、「写真だけで十分に衝撃的で、他に何かを付け加えることはできない」と語っている。写真があまりにも真実を写し出しているゆえ、手を加えることでその真実性を損なう恐れがあったのだ。リヒターはその葛藤を、写真を絵具で覆い隠す行為に置き換えた。《ビルケナウ》において、絵具は何かを描き出すものではなく、「見ること」の限界を示すベールとなっている。私たちは写真を見ることでホロコーストを理解したつもりになるが、実際に何があったのかを真に理解することはできない。どれほど証言や記録を目にしても想像には限界がある。重ねられた絵具は、その知りえなさを可視化し、見る者に絶望的な断絶を突きつけるようだ。
それでも、作品から何も感じ取れないわけではない。完成した《ビルケナウ》の画面には、赤と緑がわずかに浮かび上がる。補色関係にあるこの2色は、視覚的に最も鮮烈に響き合う組み合わせである。たとえ下層の写真のイメージが、塗り重ねられた絵具によって完全に覆われていても、この鮮烈な色の対比は、作品の奥底に私たち人類にとって痛烈な記憶が横たわっていることを示唆しているようだからだ。


AP/アフロ
© Gerhard Richter 2025 (25072025)
▼プロフィール
筧 菜奈子
東海大学教養学部准教授。現代美術・装飾史を専門とし、イラストレーターとしても活動する。著書に『めくるめく現代アート』『いとをかしき20世紀美術』『ジャクソン・ポロック研究』ほか。
筧 菜奈子
東海大学教養学部准教授。現代美術・装飾史を専門とし、イラストレーターとしても活動する。著書に『めくるめく現代アート』『いとをかしき20世紀美術』『ジャクソン・ポロック研究』ほか。
19 件