
モノ
2015.11.20 FRI.
世界で輝く尾州の毛織物。
11月7日(土)、名古屋のほど近く一宮にて「The Tweed Run Bishu 2015」が開催されました。この一宮などを中心とした尾州地区は、毛織物の産地として日本が世界に誇る場所。イベントのコース内には、生地の工場を見学するプログラムも含まれ、尾州の毛織物がどんな想いでつくられているのかを知る、いいきっかけとなりました。普段何気なく着ている洋服も、もしかしたらそこで織られている生地を使用しているかもしれません。今回はそんな尾州の毛織物について、その成り立ちと、モノにまつわる想いを、みなさんにお届けします。
Photo_Kazumasa Takeuchi
Text_Yuichiro Tsuji
Special Thanks_KUZURI KEORI、FUJII SEIJYU
尾州の毛織物が優れている理由。
名古屋では3回目の開催となる「The Tweed Run」が、一宮、尾州地区にて行なわれました。この「The Tweed Run」は、ツイードをおしゃれに着こなして、街を自転車で楽しく走るというコンセプト以外にも、“街の魅力を発見する”という目的があります。
今回の開催地となった尾州地区は、古き良き佇まいの建物が立ち並び、のどかな景色が広がる素敵な街です。それと同時に、世界有数の毛織物産地として世界から注目を浴びるスポットでもあるのです。
どうして尾州の毛織物が優れているのか? そこにはたくさんの理由が存在しますが、中でも着目したいのは、“分業制”で生地の生産が行なわれている、ということ。
ひとつの生地を織るのには、大きく分けて3つの工程が必要になります。動植物の繊維を糸にする“紡績・撚糸”、その糸を織って組織をつくる“毛織”、できあがった生地に加工をして最終的な製品化を行なう“加工・整理”です。尾州では各パートの作業をそれぞれ専門の工場が担当し、各生産者たちの個性や特徴を活かしながら生地を生産しているのです。
「The Tweed Run Bishu 2015」では、こうした毛織物産地としての尾州にも焦点を当て、サイクリングルートに“毛織”と“加工・整理”の工場を見学するポイントが設けられました。果たして、これらの工場ではどのような作業が行われているのでしょうか?
細かな糸を扱う、緻密な作業を必要とする毛織。
私たちが訪れた葛利(くずり)毛織工業は、1912年に創業した老舗の工場。現在多くの工場がコンピューター管理による自動化を進める中、こちらではアナログな手法を用いたションヘル織機という希少な設備で生産を行なっています。
タテ糸とヨコ糸を交互に重ねることによって成り立つ生地。細い糸を扱うためには、多くの準備と細かな作業が必要に。その工程は大きく7つに分かれます。
1:タテ糸の準備
生地を織る前の糸はすべてキロ単位で工場に運ばれます。それをそのまま織り上げるわけにはいかず、つくる生地に必要な分量に細かく分けます。この際ローラーに巻き付けますが、その数は通常約300個ほど。
2:整経
分割した経糸をビームと呼ばれる大きなローラーに巻き取る工程。素材の耐性によって巻き取る強さ(張り)を調整しますが、この作業によってできあがる生地の善し悪しが大きく左右されます。通常、一反の生地を織るのに3000~6000本のタテ糸が必要になりますが、繊細なものだと10000本に及ぶことも。
3:綜絖(そうこう)通し
ヨコ糸を通すためには、タテ糸を上下に開く必要があり、それを綜絖と呼ばれる器具が担います。縦に並んだハリガネのようなところには穴が開いており、そこにタテ糸を1本1本通していく作業を行ないます。一反の生地に必要なタテ糸の本数を考えると、気の遠くなるような作業に…。
4:筬(おさ)通し
織物の幅と密度を整えるのが筬と呼ばれる器具。一定の間隔に区切られた隙間に糸を2~4本通します。綜絖通しが約3日、筬通しが約1日、計4日の時間を要するそうです。
5:ヨコ糸の準備
管にヨコ糸を巻き、シャトルと呼ばれる船のような形の器具にセットする作業。この管を織機の中で左右に動かし、ヨコ糸を通していきます。ひとつの管で約30センチほどの生地が織り上がるため、1反何十メートルにもなる生地を織るにはたくさんの管が必要に。
6:製織
約一週間かけて準備してきた器具を織機にセットし、生地を織り上げていきます。
7:検反
最後に織り上がった織物に、ムラ、キズ、汚れがないかを検査し、毛織の全行程が完了します。
コンピューター管理の織機はこれらの作業を機械化し、効率的に生地を織り上げることができます。一方で葛利毛織工業が所有するションヘル織機は、それぞれの下準備を手作業で行なうため、忍耐や努力に加え、繊細な技術が必要になるのです。そうしてできあがった生地は、柔らかく風合いが豊かなものになります。
しかし、このションヘル織機が毛織のすべてを支えているわけではありません。自動化された織機やションヘル織機など、それぞれの特徴を上手に活かすことにより、産業を支え合っているのです。
製品としての仕上がりを担う加工・整理。
毛織の工程が終わったのちに、生地は整理・加工の工場へと移動します。今回工場見学に対応してくれた藤井整絨は、広大な敷地の中にいくつもの設備を抱える工場。ここでは主に、洗い、縮絨、染色、起毛、乾燥、特殊加工が行なわれおり、そこには大量の水が必要になります。尾州が織物産地として栄えたのは、木曽川という豊かな水源があったからだとも言えるでしょう。
洗い、縮絨
織り物はまず洗いにかけられます。洗いに使われる設備にはローラーがついており、洗われながらそこに当たることで生地が柔らかくなり、余計な繊維も無くなるのです。このローラーには通常、平坦なゴムが使用されますが、藤井整絨では凹凸のある杉の木を用いているそう。一度の洗い作業の中で当たりに強弱がでることにより、生地の仕上がりが柔らかくなるんだとか。
生地をフェルト状にしたい場合は、洗いの作業のあと、生地を特殊な液体に浸して摩擦や圧力を加えることによで縮絨の作業を行ないます。洗いと縮絨を同時に行なう設備もありました。
染色
染色は、生地を染色液に浸し、熱を加えることによって行ないます。コットン、ウール、ポリエステルなど、素材によって染色にかける圧力が変わり、生地の量によってもその仕上がりに変化が出るため、多くの設備が必要になります。もちろん、生地に合わせてそれらの設備を適切に使い分ける職人の技術も、ここでは大切な要素です。
起毛
“アザミ”と呼ばれるカギ状のトゲがたくさんついた実を使用して、生地に起毛感を与えます。この方法は300年前にイタリアで行なわれたことが発祥になっているんだそう。この作業でも、染色と同じように生地の素材によって使い分けが必要です。カシミヤなどの繊維の細い素材には、アザミを縦に配したローラーを用いて、生地を引っ掻くように起毛させます。一方、アルパカなどの太い繊維の素材は、横にアザミを配したローラーで、繊維をつまみだすようにして起毛感をだしているのです。
因みに、シャギー地などの起毛感が強い生地には、金属の針がついたローラーを駆使します。針はカギが向き合うように交互についており、“引っ掻き”と“寝かし”を繰り返すことで、繊維のより深い部分に針が到達する仕組みになっています。
乾燥、特殊加工
洗いや染色にかけた生地を乾燥させるため、乾燥機にかけます。ここで使用される乾燥機の中には、10段の折り返しがあり、100メートルにも及ぶ生地を約5分で乾かすことができるそう。必要に応じて、撥水加工や樹脂加工も施し、生地の最終的な仕上げを行ないます。
これらの加工・整理は、作業を行う日の天気や湿度などによって、微妙に設備の動かし方を操作する必要があるといいます。つまり同じ生地を、同じ設備で、同じように加工しても、仕上がりは均一にならないということ。しかしながら、生地は工業製品であるために、求められるクオリティーは一定。そのバラ付きを出さないためには、職人たちによる経験と技術が必要になってくるのです。
栄枯衰退を経験した尾州のこれから。
もともと奈良時代から織物の産地として、その伝統を脈々と受け継ぐ尾州。現在は世界のトップデザイナーたちからもひと目置かれる存在になっていますが、そこには苦難の道もあったのです。
戦後、日本の経済が成長するにつれて、市場の価格競争が起こり、上質な生地をつくっていた尾州の毛織物産業は衰退します。隆盛を極めた時代には約8000棟にも及ぶ工場がありましたが、尾州の中でも競争が激化し、いまでは約2000棟ほどに。しかも、その中で稼働している工場はごく僅かに限られているそうです。この状況に多くの生産者たちが疑問を持った結果、彼らは横の繋がりを強化させます。
そもそも、この土地の産業の特徴が“分業”にあった結果、紡績・撚糸、毛織、加工・整理の工程を担うひとつ一つの工場の技術が磨かれ、個性を持つようになっていました。それにより互いを理解し合い、地場を発展させようという想いが生まれたのです。
現在、尾州では多くの生産者たちが互いに手を取り毛織物産業を支え合っています。その努力や経験、技術が私たちのファッションをより豊かなものにしているといっても過言ではありません。それにより若者たちが関心を抱き、尾州の工場へ就職を志願する人もわずかではありますが増えているそうです。彼らが職人たちの知識と技術を受け継ぎ、産業としてさらに発展する日も、そう遠くないかもしれません。
INFORMATION
「The Tweed Run Bishu 2015」の開催模様は『フイナム』にて、詳しくレポートされていますので、ぜひコチラもチェックを。