
ウツワ
2019.11.21 THU.
アフリカと日本をつなぐファションプロジェクト「FACE.A-J」が目指すもの。
みなさん、アフリカに行かれたことはありますか。例えばナイジェリア。日本との距離は12,700kmと紛れもなく遠いです。しかし、カルチャーに置き換えるとどうでしょう。「Fashion And Culture Exchange. Africa-Japan」、略して「FACE.A-J」。ナイジェリアを故郷に持つブッキーアデジョビとカメルーンと日本のハーフ、清子・ウンバコが代表を務める『Awa’Tori』が立ち上げたこのプロジェクトは、文字通りファッション産業の文化交流を通して、アフリカと日本の平和的な発展を試みるもの。“世界平和”というと、少し大きく聞こえますが世界が抱える問題に新たな視点で挑む彼女たちに、今後のヴィジョン、プロジェクトの背景について話を聞きました。
Photo_Go Tanabe
Text_Mayumi Yamase
―まずお2人のバックグラウンドを教えてください。
ブッキーアデジョビ(以下:ブッキー):私はナイジェリアで生まれたのですが、13歳の時にカナダに移り住みました。日本には交換留学生として初めて訪れ、1年間大阪に住んでいました。その後一度カナダに帰り、2014年に大学院に通うためまた京都に戻ってきました。その時にファッションデザイナーのマーケット戦略について色々調べたのがこのプロジェクトの始まりです。また、卒業論文のリサーチのために日本ファションウィーク推進機構(JFW)でインターンをしました。今思うととても貴重な経験だったと思います。当時ディレクターだった信田阿芸子さんとの出会いがプロジェクト実現の気持ちをより強くしてくれました。でも当時はアフリカというコンセプトではなく、ナイジェリアにフォーカスしたものでした。
清子ウンバコ(以下:清子):自分自身がナイジェリア出身だから仕方ないですよね(笑)。
ブッキー:その通り。でも、ちょうどその時期にナイジェリアのファッションも変化していて、興味があったんです。日本は世界でもトップ5に入るほど、ファッション産業では大きなシェアを持っています。しかし、ナイジェリア人デザイナーの日本マーケットへの進出は困難です。それはなぜなのか。また逆になぜ日本人デザイナーは世界でも認められているのか。そういった観点からファッションを見てみるとどんどんアイデアが膨らんでいったのです。卒業論文を終えて一度カナダに帰国しましたが、このプロジェクトを実現させるために再び2017年に日本に戻ってきました。
清子:私はカメルーンと日本のハーフです。カメルーンで生まれ育ち、2007年に日本に移り住みました。ファッションに興味を持ったのは、2016年に外交コミュニケーションの仕事をしていた際に、副職として訪日観光客に向けたパーソナルスタイリストを始めたのがきっかけです。日本に来る海外の人がどこでショッピングができるのか? そういうことが知りたくても、初めて来た人は見つけるのが大変です。また、日本で流行っているものが、必ずしも海外で流行っているとは限りませんし、好みは国によって違ったりします。
ブッキーとは共通の知り合いを通して出会いました。プロジェクトの話を聞いてとてもポテンシャルを感じました。彼女が言うように、アフリカのファッションはここ数年で本当におもしろくなってきています。アフリカ出身の家庭で育つと必ずと言っていいほど、“弁護士や医者になりなさい”と言って育てられます。そんなこともあって、どこかでファッションに没頭することで親に心配をかけてしまうんじゃないか? という思いがありました。外交コミュニケーションの仕事をしていたのもそういった背景があったからです。しかし、ファッション分野において、アフリカに大きな可能性があると思い、ブッキーもその思いに賛同してくれました。彼女の言うようにナイジェリアのファッションカルチャーも盛り上がってきているのですが、せっかくならばアフリカ全土にフォーカスしようと意気投合してこのプロジェクトが始まりました。
―プロジェクトを始めるまでの経緯はどんなものでしたか。
清子:プロジェクトを始めた頃、ブッキーと話していると彼女はとっても疲れて傷付いていたような印象を受けました(笑)。きっとこの話をいろんな人にして、「無理だよ」とか「難しいよ」と言われ続けていたのが原因だと思います。
ブッキー:傷付いていたわけじゃないの(笑)! ただ、プロジェクトの話をいろんな人にすればするほど、みんながみんな賛成ではないというのに気づき始めた頃だったんだと思います。「すごくいいアイデアだと思うけど、こっちの方がいいんじゃない?」と他のことを勧められることが続いていました。確かに、私が目指していることはとっても大きなことかもしれませんが、目標が小さいとその分結果も小さなものになってしまうと思うんです。目指すものは大きければ大きいほど結果は大きくなると信じています。それに、当時はちょうどプロジェクトに100%力を入れようとしていたので、いろんな人の言葉が悪い方に響いてしまったのかもしれません。今は賛同してくれる人が身近にいることに本当に感謝しています。
清子:2人とも転換期を迎えていたと思います。ブッキーと出会い、お互い目指しているヴィジョンが同じことを確信して、実際にプロジェクトが動き出したときは私もまだ仕事をしていたので辞めるのには少し勇気が必要でした。やってみてひとつ言えることは、簡単ではないということ。特に日本という国で、外国人、黒人、女性であることは決して簡単なことではありません。でも彼女と出会えたことはとても幸運でした。まだ始まったばかりですが、このプロジェクトがうまくいくことを祈っています。
『Awa’Tori(アワトリ)』のミッションは、アフリカとアジアの社会経済の発展に貢献すべく、アフリカとアジア各国におけるクリエイティブ業界をつなぎ、持続可能なパートナーシップを育むプロジェクトの発展と促進に尽力すること
―『Awa’Tori』とはどのような意味ですか。
ブッキー:『Awa’Tori』はナイジェリアで話されてる言語のひとつで「私たちのストーリー」という意味を持っています。最初は私の個人的なストーリーを載せていたブログの名前として使っていましたが、私たちのやろうとしていることにもフィットすると思ってこの名前をつけたんです。
清子:どの言語にするか悩みました。私たちはアフリカ人ですが日本を拠点にしています。なので、どちらにも通じる名前がいいなと思っていました。誰もが必ず自分のストーリーを持っています。いくら国籍が違えど、一人が話し始めたら、それを聞いた人が共感を覚えてくれて何かが生まれます。私たちはそんなプラットフォームを作りたいと思ったんです。
ブッキー:それと、実際にファッションを支える職人たちの話も伝えたいです。日本だけではなくアフリカの職人の話はまだまだ知られていません。ファッションの仕事に職人は不可欠。彼らの話も伝えていければと思っています。
東京ファッションウィークに合わせて行われたショーケース。さまざまな趣向を凝らしたプレゼンテーションが目を引いた。
―FACE.A-Jプロジェクトについて教えてください。
ブッキー:今年10月にアフリカのデザイナー3名、日本人3名のコレクションをそれぞれのデザイナーのコンセプトに合わせた見せ方でショーケースとして発表しました。例えば70年代のディスコをテーマにしているブランドは、ダンサーが着用して踊りながら見せました。ライブも行いました。「民謡クルセイダーズ」というバンドで、今回のプロジェクトのコンセプトともフィットするバンドです。彼らは日本の民謡をベースに音楽を作っていて、作り出すバイブはアフリカの音楽と共有するところがあります。このようにライブパフォーマンスもあればキャットウォークもあり、ナイジェリアのアーティストの作品展示も行いました。
清子:私たちが唯一やりたくなかったのは、ただキャットウォークを行うことでした。いろんな表現を混ぜた展示を行うことで、今回見に来ていただいたお客さんも「次のプロジェクトでは何が見られるのだろう?」と期待して待っていてくれたらうれしいです。
〈サルバム〉のプレゼンテーションは、日本民謡とラテンのリズムを融合させたバンド、民謡クルセイダーズとのコラボレーション。
南アフリカのブランド〈テベ・マググ〉は、ランウェイ形式のショーを披露。
―今回のプロジェクトで伝えたいメッセージはなんでしょうか。
清子:何かを伝えたい人たちに場を提供することがこのプロジェクトの大切なところだと思います。2019年の現在ですら、“アフリカ”と言うだけで「貧しい」や「安全じゃない」といった反応を受けます。
ブッキー:前に、私がアフリカの出身だと伝えたら「ライオンと一緒に生活しているの?」と聞かれたことがあります。動物園以外で見たことがないのに(笑)。でも、人はアフリカに対してまだそんな印象を持っているのです。
清子:他の人が持つアフリカへの印象はいつもネガティブなもので、私たちはそれを変えたいと思いますし、変えられると信じています。以前メディアに関わる仕事をしていたときに、アフリカの国に行く機会がいっぱいあったんです。その際に、カメルーンで生まれ育った私ですら知らないアフリカの素晴らしさに改めて気付かされました。こういった興奮を、他の人にも感じてもらえたらと願っています。今はアフリカのデザイナーというと、有名人に衣装を提供したというようなニュースで、そのどれもが一瞬大きなニュースになるけれども、その後は名前を聞かなくなる人がほとんどです。私たちはそういうところは目指していません。むしろ私たちはファッションだけではなくもっと大きな範囲で音楽、コンテンポラリーアート、映画などを含めてフォーカスして彼らを紹介していくことで、人々が持つアフリカのネガティブなイメージを改善しアフリカという国をもっと知ってもらいたいと思っています。
10月25日にナイジェリアで開催されたラゴスファッションウィークでもFACE.A-Jのショーケースが行われた。こちらは、山縣良和が主宰する「ここのがっこう」から選出された若手デザイナーたちが手掛ける〈コヨーテ〉のプレゼンテーション。
ブッキー:アフリカのもうひとつのイメージは“チャリティ”です。例えばさっきのセレブリティがアフリカのデザイナーの服を着たというのも、ある人から見たら「チャリティで着たのかしら?」と考える人も多くいると思います。もちろん、ミラノやロンドン、そして日本のように大規模なものづくりをする基盤はまだできていませんが、同等のクオリティのものをアフリカでも作れるということを、もっといろんな人にも知ってもらえたらうれしいです。
―ファッションも含めアフリカのカルチャーはここ数年で変わったようですが、もう少し詳しくどんな状況なのか教えていただけますか?
清子:これは一例ですが、私の育ったカメルーンでは学校に行かなかった大抵の人はスポーツをします。スポーツかものづくりの2択です。なので、学校に行っていない小さな女の子が優れた縫製の技術を持っているなんてことは珍しくないのです。実際に学校を卒業できる人はそんなに多くありません。以前まで、そういった学校を出ていなかった人はどこか下に見られていましたが、さっきブッキーが言ったように実はアフリカの職人の歴史はとても長く、子供の頃から始めることもあり技術がかなり長けているのです。まだ少しずつではありますが、そのクオリティは広まりつつあります。また、欧米ではカメルーンならではの生地やテクスチャーが人気で、それは私たちがこのプロジェクトを始める前から世界中でブームになっています。
ショーをひときわ盛り上げたのはモデルたちがダンスを披露する演出。軽快なリズムに会場全体がヒートアップ。
ブッキー:そうですね。それに今回登場してもらったデザイナーのほとんどがアフリカで洋服を生産している人たちです。例えば、〈Kenneth Ize/ケネス イゼ〉は地元の職人たちに頼んで服を作っています。彼女たちの技術は何世代にも渡って受け継がれているものです。もう一人の〈Thebe Magugu/テベ マグク〉も地元の科学者たちと共に新たな染物に挑戦しています。伝統的であり、とっても現代的でもあります。こう言ったアフリカ独自の発展の仕方、技術というのは他の国とも十分肩を並べられると思います。また質問の答えに戻ると、今までのアフリカは何か変化を起こそうとするとすべてを政府に頼ってきました。しかし、実際には大学を卒業したばかりの若者は就職が滞っていました。そんな時にソーシャルメディアが活発になり今では個人でも事業を行える環境が平等に備わっています。これは今回参加するデザイナーも同じことを言っていました。みんな政府に頼らず自分たちで何かしなくてはならない、という意識が芽生え始めている。それが今のアフリカの現状だと思います。
清子:私は今、日本に住んで13年になるのですが、ずっとここに住もうとは思っていません。外で学んだことを母国に持って帰って生かそうという気持ちがあります。私の父の年代の人たちはその逆で、そのまま移り住むのが一般的でした。しかし、私たちの世代は違います。「これを母国でやったら?」といった考えが私たち世代にはあり、それはアフリカも同じだと思います。
―今回のプロジェクトを行うことでどんな社会を築けたらと思いますか?
ブッキー:今はファッションをメインにしているので、ファッションの例えになってしまうのですが、さっきもお話ししたようにアフリカの素晴らしい職人に頼んで日本のデザイナーが洋服を作ったり、またその逆が起こるようになればいいなと思っています。実際のカルチャーエクスチェンジですよね。ただ話題にして話すだけではなく、実際に実現するところまで持っていけたら喜ばしいことです。
清子:ドミノのようにいい流れを作ることでそれが続いていくことを望んでいます。先ほども世代の違いについて話しましたが、私たちの親の世代は変化を起こしてもすぐ壁にぶつかって止まってしまうような時代だったと思うのです。コンゴとルワンダに関して言えば、少し前まで内戦が起こっていた国です。そんな国でビジネスをしたいと思う人はいません。しかし、今回のプロジェクトを通してアフリカに興味を持ち、何かが伝わることでいろんな人にアフリカの正しい今の現状が広がっていってくれたらと思います。それにデザイナー、生産者、消費者といったコミュニティの輪ができあがっていけばそれが外に与える影響も強いと信じています。
ブッキー:このプロジェクトがきっかけで日本のマーケットとコミュニケーションが広がるだけでも大きな変化です。それから、コラボレーション、生産など、もっと大きな可能性が広がっていきます。それが強いコミュニティになり、また違う分野へと繋がっていき、やがてファッションだけではなく、どんどん広がっていけばと思っています。例えば最近だと、コンテンポラリーアートとファッションブランドとのコラボレーションはよくありますし、音楽もまたしかりです。日本とアフリカ、どちらにもたくさんの可能性がまだまだ含んでいるのです。
PROFILE

ブッキーアデジョビ
ナイジェリア出身。カナダのトレント大学を卒業後、同志社大学で経営学修士を取得。在学中にJFWのインターンをしたことがきっかけで、今回のプロジェクトを始動。日本を拠点に、アフリカと日本を文化で繋ぐために『Awa’Tori』を創設。

清子ウンバコ
カメルーン出身。カメルーン人と日本人の両親の元に生まれる。外交関係の仕事を務めながらスタイリストとしてファッションのキャリアをスタート。ブッキーと同じく、日本を拠点に『Awa’Tori』を運営する。