ヒト
2022.12.05
自然と人間の関係性をテーマにしたアート作品。 平子 雄一が生み出す思考の起点。
都会の中にある公園。木々が生い茂る豊かな緑の景色を眺め、「自然は素晴らしい」と思いに耽る。でも、人工的につくられた公園の中に居て、果たしてそれは本当に“自然”と言えるのでしょうか? そうした疑問をアート作品へと落とし込む、アーティストの平子 雄一さん。自然環境や植物と人間の共存、さらにはそこから生まれる関係性への疑問をテーマに作品を制作しています。〈エイチ ビューティ&ユース〉では、平子さんとのコラボレートアイテムを展開。彼の思考の流れを探ると共に、今回のコラボレーションにかける想いを伺いました。
Photo:Yuko Nakamura
Text:Yuichiro Tsuji
「公園って、自然なのかな?」と引っかかった。
平子:小学校6年生のときにツバメの絵を描いたんですよ。自分でも上手く描けたという手応えがあって、さらにはそれを周りの人が評価してくれて、そこでひとつのゴールが見えた気がしたんです。そのときに画家になりたいなと漠然と思うようになって。
ーそこからいろんなことを吸収しながら、作家への道のりを歩いていったと。
平子:あとはネガティブなきっかけもたくさんあるんです。ただ上手いとか、ただ技術が優れているだけで作家になれる人というのは少なくて、むしろその逆の部分が大きくて作家になる人のほうが自分は多いように思います。
ー現在、平子さんは「自然環境や植物と人間の共存、さらにはそこから生まれる関係性」をテーマに作品をつくられていますよね。それはどのようにして生まれたのでしょうか?
平子:イギリスの大学の卒業制作で、ふたつの異なる要素を組み合わせて不確定な物質をつくる、ということをしていたんです。その後しばらくして友人たちと公園へ出かけたときに、仲間のひとりが「自然っていいね」とひと言放ったんですよね。そのときに「公園って、自然なのかな?」と引っかかって。
自分は岡山育ちで、実家は自然に囲まれた環境にありました。そこからロンドンっていう都市の中で生活するようになるのですが、そこには植木や公園、さらに建物の中には観葉植物があって、人工的にコントロールされた植物にあふれていました。それは自分が岡山で見ていた自然とは異なるものだったんです。じゃあ、どっちが本物なんだろう? と考えるようになりました。
平子:そうなんです。なにが基準なんだろうって。
“現象”を中立的な立場で捉え作品として発表したい。
平子:もともと自然と人工物が混ざったランドスケープを描いていたのですが、それだけでは語りきれないものが出てきたんです。ぼくたち人間は、花を見て美しいと思う一方で、雑草が生えていたら抜いてしまいますよね。そういう思考が勝手に身についてしまっている。でも、道を歩いている犬はきっとそんなことどうでもいいはずだし、そうした教育や概念を植え付けられている人間だけがそう思ってしまう。それって不思議な現象だなと思ったんです。
その現象を表現するために、あのキャラクターが生まれました。自然に対する意見を持っている、アイデアが頭の中にあるということを、あのキャラクターで標榜しているんです。
ーある意味、洗脳されているのかもしれませんね。
平子:そうですね。でも、そこには人間が生きていく上での合理的な理由があると思います。雑草を排除するというのは、生活圏をキレイにするということですよね。お花を見て素敵だと思うことについては、もっと動物的な感覚なのかもしれませんが。とはいえ、誰かを喜ばせたりとか、コミュニケーションのツールとして発達していったのは間違いなくて。それは人間の欲に利用されているということでもありますよね。
平子:自然と植物、そして人間の関係には、そういうものがよく表れています。端的にいえば、都合のいい解釈にあふれているんですよ。ぼくたち人間の行動がそこにはすごく影響している。そこに注目しています。
ーご自身の中で、環境問題に対する関心は高いのでしょうか?
平子:ぼく自身は人並み程度です。環境問題をテーマに作品をつくる作家さんはいらっしゃいますが、ぼくが自分でそれをやろう、作品を通してそれを伝えようとはまったく思ってないです。問題が具体的にあったとして、その課題を解決するためになにかしようというのであれば、文章や映像のほうが伝わりやすい。アート作品の特性は、「思考を促す」「答えをひとつの方向へと導かない」ことが大事だと思うんです。
ー社会的にではなく、あくまで文化的に思考のきっかけを生み出すということですね。
平子:環境問題やエコ問題って、結局のところは全員で共有しないと意味がないと思われていますよね。わたしたちとしては、言われなかったらまったく気づかなかったことを、気づかされてしまったんです。それは、社会の欲望であり、いろんな思惑を自分は感じるわけです。
ーなるほど。
平子:それをぼくは“現象”として捉えて、中立的な立場で作品を発表したいと思っています。作品を見てくれた人たちによく「自然が好きなんですね」って言われるんですけど、自然を愛好しようというメッセージはなくて、あくまで現象に興味があって制作しています。とはいえ、こういう作品をつくって「自然が好きなんだ」と思われるのも、おもしろい現象だなと思っています(笑)。
「価値がなくなったものが価値あるものに変わっていく」。
平子:自分がアプローチできない方々に自分の作品を見てもらえるいい機会だなと思いました。アート畑にはいない方々にどうアプローチしていくか、ということが課題としてあったので、すごくありがたいオファーだなと。ただ、そのまま作品を見せるのはちょっと違うなとも思いましたね。
ー今回はオリジナルのフィギアや、ウッドチェア、それに生地の残反を使用したトートバッグ、古着のリメイクアイテムがありますが、どのような経緯からそうしたラインナップになったのでしょうか?
平子:お話をいただいてから何ができるかを考えて、いつも通りアートの文脈で商品をつくりたいという気持ちはありつつも、それだけに固執してしまうのもよくないと思ったんです。
僕が出来る普段通りじゃ無い表現で、しかもそれが一見して僕の作品だとわかってもらえるものはなんだろうと。そのあたりのバランスを考えながらやりました。ファッションの領域だからこそできることなども考えつつ、前から暖めていたアイデアを形にした結果、今回のアイテムのラインナップになりました。
ー今回のラインナップの中でもフィギアに注目する人が多いと思うんですが、これはどういったアイテムなんでしょうか?
平子:これはつくりながらアイデアを考えていったものです。奥行きがあって“語れるもの”をつくりたいと思って、透明のソフビをつくったんです。その中には廃棄されたプラスチックや木片、つまり人間が不要としたもの、価値がなくなったものを入れました。ソフビは「いまから価値が生まれるであろうもの」だけど、中身は「価値がなくなったもの」であり、その両者を組み合わせることで「価値がなくなったものが価値あるものに変わっていく」ことを成立させています。
ーこの金色の破片は、不要になったプラスチックだったんですね。
ソフビの中に入る加工前のプラスチックや木片。
金色の塗料を吹きかける。
ソフビの中に流し込む。
ーそのアイデアも平子さんらしいです。
平子:むかしから漂流物が好きで、流木とかをよく拾っていたんです。海へ行くとボトルキャップとかも多いんですけど、あれはもともとボトルの中の飲料が漏れないように阻止するものですよね。それが不要となり、捨てられ、海を漂ううちに研磨されて造形が変わってしまった。つまり本来の用途と形が失われてしまったわけです。ぼくはそれを見て残念だと思うと同時に、時間の経過や、なんとなく可能性を感じてしまったんです。もちろん、ゴミはしっかりと責任を持って捨てるべきなんですけど。
ープロセスというか、そういったことを感じ取ったということですか?
平子:そうですね。あとは人間のわがままな行為というか、利便性を求めるためにそうしたプラスチック製品をつくったわけですよね。そうした文明を感じたというか。
ー一方で、ウッドチェアにはどういったコンセプトがあるのでしょうか?
ウッドチェア(小)。
ウッドチェア(大)を組み上げている様子。
ー「服を着る=作品と同化する」ということですね。でも、どうして古着なんでしょうか?
平子:古着はむかしから好きで、ロンドンにいた頃はカムデンタウンに住んでいたんですけど、毎週のように古着屋さんに通っていました。古着には既製品にない魅力がありますよね。トレンドやマーケティングの外にあるというか、それがつくられたときに与えられた本来の魅力とは別の魅力が生まれていますよね。さらには劣化しているものもあって、海に転がっているプラスチックとの共通点を感じました。
ーたしかに、そう言われてみると似ていますね。
平子:人が不要とした服に新しい価値が与えられていて、そこがユニークだなと思います。
いつの間にか考えさせられている、というのがぼくのやりたいこと。
平子:アイテムを手に取ってもらって、そこにはいろんなアイデアが盛り込まれていることがジワジワと浸透すればいいなと思います。ぼくが「こうして欲しい」ということを発信すると、それは誘導になってしまうので、具体的に感じて欲しいことはないんです。
平子:そこがミソだと思います。いつの間にか考えさせられている、というのがぼくのやりたいことなので。服を着たり、椅子に座ったり、作品を眺める中でアイデアが湧いてくれればいいですね。
ー最後に、今後のご自身の展望について教えてください。
平子:自分の表現を拡張したいですね。そしてそれが自分のサイクルの中に備わるように頑張りたいなと。それができるようになれば、場所や場面を問わずになんでも自分の思考を落とし込んだ作品をつくることができる。キャンバスでも、立体でも、ひとつのメディアに固執したくないんです。
ー新しい表現をずっと探し続けるということですね。
平子:そうですね。サウンドパフォーマンスもやっていますけど、もっと大々的にやりたいなと思っていますし。一方ではドキュメンタリー映画も撮りたいなというアイデアもありますし。軸はぶらさずにいろんな表現方法を模索したいです。そうやって、どんどん拡大、拡張していきたいです。
INFORMATION
PROFILE
平子 雄一
1982年岡山県生まれ、東京在住。2006年にイギリスの、Wimbledon college of Arts, Fine Art, Painting 学科を卒業。植物や自然と人間の共存について、また、その関係性の中に浮上する曖昧さや疑問をテーマに制作を行う。観葉植物や街路樹、公園に植えられた植物など、人によってコントロールされた植物を「自然」と定義することへの違和感をきっかけに、現代社会における自然と人間との境界線を、作品制作を通して探求している。ペインティングを中心に、ドローイングや彫刻、インスタレーション、サウンドパフォーマンスなど、表現手法は多岐にわたる。ロンドン、ロッテルダム、上海、ソウルなど、国外でも精力的に作品を発表している。