
ヒト
2024.07.04
メンズクロージングの魅力を伝え続けたい。
創業メンバーの1人として、メンズクロージング部門のバイイングやオリジナル商品の企画、クリエイティブディレクターなどを歴任し、40年以上にわたってクロージング分野でキャリアを重ねてきた鴨志田 康人さん。2024年5月24日に発刊された繊研新聞の「パーソン」企画にて、日本のメンズドレス市場の変化とこれからのセレクトショップの商売についてのインタビュー記事が掲載されました。そこには書ききれなかったアザーストーリーを紙面の内容と共にお伝えします。
Photo & Text_Masayuki Kashiwagi(SENKEN SHINBUN)
絵描きに憧れた学生時代。服好きが高じてショップ店員に。
高校が私服の学校だったんですね。時代的にはアメリカントラッド全盛でしたから、自分もいわゆるアイビー小僧でした。「メイド・イン・USAカタログ」が出版されて、〈ミウラ&サンズ(現シップス)〉がアメ横にできていました。映画で言うと「アメリカン・グラフィティ」がリアルに感じられる年齢で、そのころは、もちろん生業にしたいとまでは思っていなかったですけど、趣味の1つとしてファッションが好きでした。
生まれは浅草だったので、アメ横が近くてアメリカの服や文化が身近にありました。当時、僕の住んでいた家の近くには、映画館の看板屋さんがあったんです。昔の看板は全部手書き。子供だった頃は職人さんに可愛がってもらって、間近で映画の看板を描いている様子をじっと見ていた記憶があります。
大学は多摩美術大学で、専攻はインテリアでした。家が椅子張りの職人だったので、ソファセットとかに生地を貼る作業を自分も高校時代はアルバイトで手伝わされたりしていたので、割と身近にインテリアには触れていたんで選んだんです。多摩美、卒業はしたんですけど、もう3年の後半で「俺には向いてないな」というのがつくづく分かったんです。で、好きな洋服屋でアルバイトを始めました。当時ビームスが大好きだったんですね。ちょうど〈ビームスF〉ができた頃で、それこそ栗野(現ユナイテッドアローズ上級顧問)さんに接客していただいてました。ビームスがちょうど神南に3店目を出すタイミングで新卒で入社しました。
クラシコイタリアが根付き、メンズドレスのビジネスが軌道に。
メンズ担当として仕入れとオリジナルの企画をやりました。まだ人数が少なかったですから、お店にも立っていました。大学がインテリア専攻だったので、店舗の内装を考える仕事も六本木ヒルズ店まではやっていました。04年にクリエイティブディレクターになってからは、メンズドレスのディレクション、ドレス軸でのUAのあるべき方向性をディレクションする仕事をしました。
創業当時、重松(現名誉会長)さんの思いとしては、販売員の地位向上がありました。当時の日本はまだ洋服屋で働くとことの世間体があまり良くない時代でした。欧米にはすでに一流のファッション企業が社会的認知された存在でしたし、その国に行ったら必ずチェックする、お手本となる個店もありました。そういうビジネスを我々も作っていこう。質の高いセレクトショップをやろうと考えたんです。だったらメンズは社会的地位の高いエグゼクティブや感性、感度の高い方々に向けた品揃えにしたい。であればドレス、しかも旧来のブリティッシュやアメリカンとかではなくて、もっとインターナショナルでアップデートされたドレスの世界を築こうと。それでピッティ・イマージネ・ウオモで色々な商品を買い付けたんです。
どんなファッションもある程度時間が経つと、鮮度を失う。
鮮度がなくなってきたからでしょうね。「次、これ売れるな」っていうものがなくなってくる予兆が、世界中の展示会見て回るとありました。ドレスよりもストリートやカジュアルのほうに勢いがありましたよね。これはもう相当な勢いで変わるなって、あの時代にバイヤーだった人間なら誰もがそう感じていたと思います。
日本では2011年以降、ドレスコードがどんどん緩和され、省略されていきました。ネクタイなんか締めなくて良い。Tシャツにジャケットを羽織って、スニーカーを履くほうが、クールだって思う人が増えました。仕事で着るスーツがビジカジ、コンフォタブルなビジネススタイルに変わっていったことで、格好良さが見えなくなりました。格好良いかどうかって服装を選ぶ基準の一つじゃないですか。メンズドレスが以前ほどの輝きがないのは、社会環境が変わったこともあるけど、それ以上に格好良いドレススタイルを提案しきれてないっていうのが大きい。世界中で一般の人が洋服を着るようになったのは1920年くらいからですよね。そこから100年経った現代までの歴史を見ると、服装はどんどんカジュアル化が進んでいます。それが元に戻ることはそうそうないです。帰属意識がどんどん薄らいで、パーソナルなものを中心に社会生活を送るっていうのはある意味健全だとは思うんです。ただ、装いって、相手に対してのリスペクトを示すものでもある。パーソナルな格好も良いけど、場所や環境をリスペクトすることは、人としてあるべき姿なんじゃないか。その意味でドレススタイルというのはこれからも存続していけるんじゃないかなと。希望的観測ですけど、そうあって欲しいなと。
今若い世代、30代や20代にドレス回帰ってことがあると聞きます。スーツとか着たことなくて、お洒落にスーツを着こなしている大人も周りにいない。カジュアルスタイルが溢れかえっている中で、スーツを格好良く着たいって思う。これ必然だと思うんですよ、すごく。
服装は使い分けが必要。そこにファッションの面白さがある。
かたくなに顧客さまに向けた提案をし続けているから。もちろん、アップデートしながら。だから売れているんじゃないですかね。着こなしのルールやドレスコートを踏まえたドレスの売り場があってそれだけでなく、カジュアルもデザイナーもストリートもしっかり品揃えしている。セレクトショップも、そういう部分はちゃんと残すべきじゃないかなと思います。
服装って使い分けも必要だし、そこに面白さもある。1年中カジュアルな格好でいると刺激を感じない。日本人ってもっと丁寧な生き方する人種じゃないのかなって思うんです。四季を感じたり、細部に美しさを見出したり、そういう繊細な美徳のようなものがあるはずなんですよね。コンフォタブルって、楽ちんな格好だけではなくて、例えば老舗の料理屋さんの暖簾をくぐるときの緊張感が心地良いときってあります。背筋が伸びる心地良さ。時間や場所を尊重する姿勢を装いで表したいって思う人にふさわしい服をちゃんと提供できるお店はやっぱりあったほうが良い。
クロージングの商品はクオリティーコンシャスじゃないとお客さまに価値を感じてもらえない。難しいし、面倒くさいことだからこそ、他にはできないジャンルです。それをやってきたのがユナイテッドアローズだし、もう一度それを見直さないといけないと思うんですね。
今の時代に合う、クオリティーコンシャスな店をもう一度。
話が少し飛躍してしまうかもしれませんが、「ローカル」って日本の文化やカルチャーの面白さを表すキーワードではないでしょうか。外国人がこれだけ日本に来るのは、日本各地のローカルな場所の豊かさに惹かれているからではないかと。例えば南部鉄器とか今も続いていて、評価されている伝統工芸。そういうものが日本という小さい島国の中に何十、何百もあるのは世界でも稀有だと思うんですよね。それって日本の良いとこじゃないですか。
地域に根差したモノやそれを作る人を大切にして、地域の人々に愛される店をつくる。もっと個が輝くような店の在り方を、ことドレスに関してはそういうスパイスを利かせた、ローカル目線の店づくりをするっていうのはもっと考えるべきじゃないかと僕は思うんですよね。
個というのは店であり、売り場に立つ販売員のこと。どんなに良い服を揃えたって伝道師がいなければ価値は伝わらない。素敵な店で、良い販売員が商品の価値を伝えて、それがお客さまに届けば、絶対に顧客さまは戻って来るし、増える。そこに年齢とか関係ないと思うんです。ドレス分野の商売は特に。
いろんなカテゴリーの商品をすごくいいバランスでリミックスして品揃えするっていうのは、日本のセレクトショップ独特ですよね。柔軟に変化するクラシックが、カジュアルやデザイナー、ストリートともうまく融合して、統一感のある品揃えができる店。それがユナイテッドアローズだと思うんです。
PROFILE

鴨志田 康人
57年東京生まれ。多摩美術大学卒。82年にビームス入社、店舗スタッフ、企画、バイイングを担当し、89年、ユナイテッドアローズ設立に参画。メンズクロージングの企画、バイイング、店舗の内装デザインなどを担う。04年にクリエイティブ・ディレクター、07年にプライベートブランド〈カモシタ・ユナイテッドアローズ〉をスタートし、ピッティ・イマージネ・ウオモに出展、18年4月からクリエイティブ・アドバイザーとしてユナイテッドアローズの監修業務を担当。