ヒト
2016.02.25 THU.
more trees水谷さんと『LIFE311』の地、気仙地域を巡る。
甚大な津波被害を受けた岩手県陸前高田市と大船渡市に隣接する住田町では、避難者を受け入れるため、木造の仮設住宅をつくりました。この活動を資金面から支援するため、立ち上がったのがmore treesが主催する『LIFE311』プロジェクト。㈱ユナイテッドアローズでは、「REDUCE SHOPPING BAG ACTION」(※)を実施し、プロジェクトを支援しています。お客様にいただいたご協力が、どのような形で生きているのかを、more treesの事務局長水谷伸吉さんに案内していただきながら、お伝えします。
※店舗でのお買い物時にショッピングバックをご辞退いただくと、1回につき10円を『LIFE311』に寄付する活動。
Photo_Kazumasa Takeuchi
Text_Noriko Ohba
プロジェクトの根っこを支える林業の現場へ!
「木造仮設住宅をつくるという『LIFE311』のプロジェクトを考えたときに、その根っこや入り口にいるのは、木材をつくっている林業関係者です。今日は、最初に彼らが仕事をしている山に行ってみませんか?」と、水谷さんが案内してくれたのは、林業の現場。山に入ると、遠くから樹を伐り倒すチェンソーの音が聞こえてきます。しばらくして、ゆっくりと樹が前方に倒れるドスンという重たい音。初めて目にする林業の「伐採」作業のスケール感と迫力に圧倒されていると、向こうから「水谷さん、久しぶりだね〜」と、作業着を着たにこやかな男性の姿が。住田町で精力的に林業を営む、「松田林業」の取締役、松田昇さんです。
ふたりの出会いを水谷さんが振り返ります。「松田さんとは、2011年4月に会ったのが最初でした。『LIFE311』を進めるなかで、住田町の林業のキーパーソンとなる人は誰だろうと、探していたんです」。初めての顔合わせは、なんと松田さんの家の玄関だったとか。「いやぁあのときはびっくりしたよ。ピンポーンって尋ねてきたよね(笑)。Twitterで見つけたとか言って」と松田さん。
「…すみません(笑)。でも、この人だ!と思った感覚は間違っていませんでした。松田さんと知り合って、民間の製材所や工務店、行政の林業関係の方などさまざまなコミュニティのなかに入れていただき、本当に心強かったです。住田町が、木造仮設住宅に着手したのは震災後すぐ。まだ流通も復旧していなくて、資材不足も著しいころでしたが、住田には山があり、地元に製材所や工務店があって、町内の連携だけで次々と木造仮設住宅ができあがっていく様子には、本当に驚かされました。『松田林業』さんは、木造仮設住宅の材料と土台にするために地中に埋める丸太となる原木を、山から伐り出していただきました。土台には、約2mの丸太の先を細くした杭が一棟につき20本近くも埋められています」と水谷さん。
「都市と森をつなぐ」がコンセプトの『モア・トゥリーズ』にとって、こういった林業の仕事や現場の様子を、多くの人に知ってもらうことも大事な仕事だと水谷さんは言います。その言葉を聞き、松田さんからも「水谷さんと知り合って、東京の方や他県の林業関係者など、これまでになかった交流が生まれて、刺激をもらっています。出会った当時は、水谷さんと連日意見交換をして、これからの林業にできること、自然エネルギーのことなどを話し合いましたよね。震災時、10日間ほど停電したのですが、電気もないうえに灯油もなくなり、行方不明者を探すために使っていた林業用重機の燃料も底をつきた。そんなとき、“薪”で暖をとるなど、木がすごく役に立ったんです。これからの日本の林業は、木材を生産するだけでなく、木質バイオマスなど、エネルギーを供給することも大事な役割になっていくと思います」とのこと。会ってすぐに意気投合したというふたりの再会から、今回の旅は始まりました。
杉の香りが漂う、木造仮設住宅にお邪魔しました。
山をあとにし、次は木造仮設住宅へ。慣れた足取りで水谷さんが案内してくれます。「今回は、住田町に3か所ある木造仮設住宅団地『火石団地』『本町団地』『中上団地』のうちのひとつ、『中上団地』へお邪魔したいと思います。外から見ただけでも、従来のプレハブの長屋タイプとは違うのがわかりますよね。住田町の仮設住宅は、戸建ての木造でつくられているのが特徴。外壁や室内、お風呂の壁、床、天井にいたるまで地元で育った気仙杉を使用しています」。
中に入ると、完成から約5年経った今でも杉の香りを感じます。間取りは2LDK、広さは29.8㎡。more treesから提供された「ペレットストーブ」が、各家にひとつずつ設置されています。パチパチと燃える炎が透明のガラス越しに映り、一見すると暖炉のようにも見えるおしゃれな暖房器具、「ペレットストーブ」とは?
ペレットストーブの燃料は、木材を製材するときに出た端材、木屑、樹皮などを圧縮成形してつくられる木質ペレット。暖房器具のなかでも特にCO2排出量が少なく、燃料に国内の森林の副産物を活用できるため山間地域の活性化も期待できるなど、さまざまな面で注目を集めています。「ここにあるペレットストーブは、通常よりも少し小さめ。仮設住宅用に特別につくってもらったサイズです」と水谷さん。室内全体に行き渡る、じんわりと優しい暖かさ。住田町の木造仮設住宅、そして住民の心も暖めてくれています。
地元の食材をいただき、お話を伺い、交流をした夜。
この日の夜、『中上団地』の木造仮設住宅にて、住田町の方やここに暮らす方が夕食会を開いてくださいました。住田町長の多田欣一さんはじめ、町役場の震災復興支援室の方々や、仮設住宅に住む『中上団地』自治会長の柳下八七さん、支援員の金野純一さん、住田町を支援する他団体、邑サポートの方などが水谷さんを囲みます。多田町長の「住田へようこそ」の言葉で会はスタート!
「母ちゃんがつくったけんちん汁もってきたよ」「タコおにぎり食べて」「わかめのしゃぶしゃぶ食べた事ある?」「ケーキも買ってきたからな」と、テーブルには気仙地域の名産や地元で人気のスイーツなどが盛りだくさん。お湯につけると鮮やかに変色するわかめの歯ごたえや、新鮮で甘みのある蟹、けんちん汁の滋味深い味、初めて食べる鶏のハラミの旨味。どれも本当に美味しく、ありがたく、あっという間になくなっていきます。
「木造仮設住宅ができたときには、5色の旗をあげて、棟上げの儀式をしたんだよ」と、完成当時の様子を教えてくださったり、「住田町の仮設は、穴を開けても釘を打っても、天井に棚をつくっても自由。その人の使いやすいようにしていいんだ」と、案内していただいたり、また、団地内でバンド結成し人気を呼んだ話など、建築だけでなく、コミュニティや「ここで生まれた子も亡くなった方もいる」こと、木造仮設住宅にまつわるさまざまなお話を伺いました。
住田町の木造仮設住宅に住む人の多くは、隣町で甚大な被害を被った陸前高田市出身の方々。5年経ち、自立再建して団地をあとにする人も少しずつ増えた今、だからこそここに暮らす人たちの気持ち、さらに「仮設に住んでいる人の間でも、今だに震災のことで誰にも話せないことも聞けないこともある」という自治会長の言葉。そして、たびたび発せられる「忘れないで」という声に、じっと耳を傾ける水谷さん。会話は途切れることなく、続きます。
途中には、互いの議論がヒートアップしたかと思えば「いつもこんな感じなんだ、俺たちは」と笑ったりしながら夜もふけていき、会もお開きに。最後は、「中上団地」のコミュニティを盛り上げる自治会長の柳下さん(左)と支援員金野さん(右)が、カメラの前で「初めてふたりで写真撮るな」と、肩を組んでにっこり。
翌朝ふたたび木造仮設住宅を訪れると、雪をかぶった団地は、昨日とはまた違った雰囲気。仮設住宅に住むご婦人たちも水谷さんの姿を見ると、「こんな寒い時期によくきたね〜」と声をかけてくださいます。美しい連鶴の折り紙や、貝殻をきれいな布でくるんだチャームなどのお土産までいただき、木造仮設住宅ともお別れ。今日は、住田町役場へと向かいます。
「このつながりを離したくない」と多田町長。
木造仮設住宅「中上団地」から車で約15分、住田町役場に到着。2014年に完成したばかりの木造2階建ての新庁舎は、林業の栄える住田町の特徴を生かして、建物のおよそ7割に地元産の木材を使用し、完成。中に入ると、広々とした町民ホールや、床暖房完備の交流プラザ、木育の遊具を置いたキッズコーナーなどがあり、2階にあがると、柱のない開放的なフロアが広がります。
日本で初めて実用化したという、地震に強い格子状の“ラチス耐力壁”は、光をふんだんに取り込む壁として、また、デザイン上のアクセントにもなり、空間全体に温かさを生み出しています。
町役場の方に新庁舎を案内していただいき、2階フロア奥の町長室へ。部屋では、町長が「雪降ったね。昨日は、楽しめたかな?」と、出迎えてくださいました。『LIFE311』プロジェクトを通して、住田町の人々と深く関わり、多田町長を「少し離れたところにいる親父のよう」だと慕う水谷さんが、町長を前に今の想いを語り始めました。
「住田町と『LIFE311』プロジェクトをご一緒することで、モア・トゥリーズとしては、確実にひと皮むけた、という想いがあります。僕たちも震災以前から、木造建築やペレットストーブの構想があるにはありましたが、すぐに実現できるレベルではありませんでした。
ところが、住田町は、震災前から構想だけでなく、すでに設計図も用意していた。震災4日後には、「やるべ」という町長のひと声で、実際に建設に入ったと新聞で読んだときの衝撃は、忘れられません。これこそが自分たちがやりかったことだと、急いでコンタクトを取り、実際にお会いして、木造仮設住宅建設とペレットストーブの導入にかかる費用を支援させてほしい旨を伝え、プロジェクトを立ち上げました。
支援目標金額3億円と、気が遠くなる数字でしたが、現在の支援金額は約2億1500万。本音をいえば、まだ全額には遠い道のりだと心苦しく思う気持ちもあります。震災の翌年からは目に見えて寄付の額は減りましたし、3年目になるとさらに…といった状況が続いているのも事実。
ただ、そんな中、継続して寄付していただいているユナイテッドアローズさんをはじめとする企業や、その向こうで協力してくれているお客さまがいてくれることは、本当に心強く、ありがたいことです。毎年少しずつになりますが、これからも支援金をお届けしたいと思っています」という水谷さんを、遮るように「水谷さん、ちょっと待って。そんな風に心苦しく思う必要なんてない。むしろ時間がかかったほうがいいくらいなんだよ」と町長。
続けて、「住田町は、仮設住宅の建設に着手したのが早すぎたために、補助金が出なかったのはご存知の通りですが、でも実は、その後に国や県から3億円の交付金を出す、という話も出たんです。そのときはね……迷いました。3億円あったら、町のために色々なことができると考えますよ、当然。でもね、当時の副町長、私にとってはサッチャー元首相のような存在なのですが(笑)、彼女にそれは違うと即答されました。国や県からもらうのではなくて、民間とやっていくことでつながりを持つ、そっちの方が大事だって決めたのは、町長ですよって。
あのとき、彼女に後押ししてもらって本当によかったと思う。『LIFE311』のプロジェクトの一環で、六本木ヒルズや有楽町の国際フォーラムに住田の木造仮設住宅が展示されたことがあったでしょう? あのあと、東京で働いている住田町出身の人から『今まで、住田町と言っても誰も知らなかったのに、木造仮設をつくった町だよと言ったら、わかってもらえた。町を誇りに思う』って、言われたの。嬉しかったなぁ。これはプロジェクトのすごい効果ですよ。お金だけでなく、数字で計れないものも戴いていると思っています。
今、木造仮設住宅に住む人は4割ほど。少しずつ減りつつあります。国は仮設の期間は2年だと言いましたが、そんなのはとんでもない話。時間はまだまだ長くかかると思っています。今後もモア・トゥリーズさんを通して、いろいろな方とつながりを持ち続けて、この地域を覚えていてほしい。忘れないでほしい、というのが切実なお願いです。毎年少しの額でいいから、100年付き合っていきたい、本当にそんな気持ちなんですよ」。
取材を終え、撮影時には「目を合わせてください」というカメラマンの指示に照れ合うふたり。細身のスーツがお似合いの町長、「今日はね、ユナイテッドアローズさんで仕立てたスーツを着てきたんだよ」とのこと。「かっこいいじゃないですか」と水谷さん。さて、旅も終盤、住田町役場をあとにし、隣町、陸前高田市へと向かいます。
これからも都市と森のつなぎ役として、邁進したい。
陸前高田に到着。「現在も、かさ上げ工事のまっただ中。これは、大規模な津波の被害を受けた平野部を、山から切り崩した土砂で盛土して、高台をつくり、そこに新たな住宅地を造成する計画です。前回来たときは、空を覆うように、土砂を運ぶためのベルトコンベアーがいくつも張り巡らされていていました」と水谷さん。
今回の旅を終えての感想を尋ねると、「いつもは、夕方くらいに木造仮設住宅に顔を出して、住人の方と少し話をして帰るというのが定番でしたが、今回はじっくり夕食も一緒に食べて、話ができて、嬉しかったですね。
私たちは、森林保全団体として活動していますが、自己財源をもっているわけでもありませんし、都市と森をつなぐと言っても、都市側でも、また森側でもない、水平なつなぎ役として存在しています。今回のように、ユナイテッドアローズのお客さまのご支援を住田町に届けたり、ほかのイベントで住田町に都市の方をお連れしたりと、接着剤のような働きを、これからもっと強めていきたいと、改めて感じました」。
INFORMATION
https://taisetsu.united-arrows.co.jp/action/ LIFE311
http://life311.more-trees.org/ more trees
http://more-trees.org/
PROFILE
水谷伸吉
1978年東京生まれ。 慶応義塾大学経済学部を卒業後、2000年より(株)クボタで環境プラント部門に従事。 2003年よりインドネシアでの植林団体に移り、熱帯雨林の再生に取り組む。 2007年にmore treesの立ち上げに伴い、活動に参画し事務局長に就任。