ヒトとモノとウツワ ユナイテッドアローズが大切にしていること ヒトとモノとウツワ ユナイテッドアローズが大切にしていること

モノ

2021.11.18 THU.

小学校設立に挑んだ元プロ野球選手・田中 賢介氏との
「地域貢献」から広がった制服づくり。

2019年限りでプロ野球・北海道日本ハムファイターズを引退した田中 賢介さん。現役時代にベストナイン6回、ゴールデングラブ賞5回に輝いた名選手ですが、セカンドキャリアとして選んだのは、なんと私立小学校の創設という異例の道でした。2022年4月、ファイターズのホームタウンでもある北海道に開校する「田中学園立命館慶祥小学校」。元プロ野球選手が理事長を務める新しい小学校の制服を〈ユナイテッドアローズ グリーンレーベル リラクシング〉(以下、GLR)が担当します。なぜ小学校を作ろうと決めたのか。そのエピソードとビジョンに触れながら、制服とそれを着る子どもたちへの想いを語ってくれました。

Photo_Go Tanabe 
Text_Shota Kato(OVER THE MOUNTAIN)

あのファイターズの田中 賢介氏が学校を作るに至った経緯とは。

高校卒業後と同時にプロ野球の世界に入った田中さんにとって、自身が教育に携わる人生を歩むことは考えもしない道でした。メジャーリーグにも挑戦した北海道日本ハムファイターズの生え抜き選手。長きに渡ってチームに貢献してきた田中さんのセカンドキャリアは、コーチや解説者などで再びプロ野球に関わることがイメージしやすいものです。ところが、ファイターズのスペシャルアドバイザー、プロ野球中継の解説者として活動しつつも、引退後の軸に選んだのは、意外にも小学校の開設でした。

「メジャーリーグのサンフランシスコ・ジャイアンツでプレーしていたとき、ベネズエラのウインターリーグに参加したんです。ベネズエラは治安が悪くて、野球ボールにも盗難されないようにチーム名がマジックで書かれていたんですね。そんな習慣はいままで見たことがなかったので、なぜこんなことが起きるんだろうと考えるようになりました。それからアメリカで子どもが生まれて、どう育てていこうかと想像しているうちに楽しくなっていって。その中で気づいたのが、幼少期の教育によって、子どもたちの成長が変わってくるということでした」。

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帰国後はファイターズの主力選手として5年間プレー。引退後の選択肢としては、大きく分けて2つの道を考えていました。ひとつはファイターズのためのサポート。もうひとつはプロ野球選手として支えてくれた北海道のファンへの恩返し。できれば地域貢献として、未来の子どもたちのために何かやりたい。最初は朧げな気持ちだったと振り返ります。

「自分はどうやって幼少期の教育に貢献できるのかと考えたら、北海道は私立の学校が少ないので、私立から引っ張ることができたなら、公立も含めて新しい風が生まれるんじゃないかと思ったんです。そこで思い切って、私立小学校を作ろうと決めました」。

小学校を作ると決めたものの、初めは何からはじめればいいのかわからなかったと言います。そこで、たくさんの本を読んで気付いたことは、まずは学校法人が必要ということでしたが、学校も法人も簡単には作れないものです。そんな中、絶対に作るんだ!という思いだけで必死に自分の足で行動し、学校法人を取得。その後、小学校の認可申請手続きを行い、学校法人立命館と特別提携校として協定を結び、北海道に誕生する、初めての小中高大院一貫校教育が誕生することとなりました。その根底には自身の“失敗”の経験が大きく関わっています。

「野球しかやってこなかった人生だけに、もっと勉強しておけばよかったなと感じる、たくさんの失敗をしてきました。言語力、コミュニケーション能力や対応力、食育、服育なども含めて、子どもたちがなりたい自分になれるための土台を作ってあげたい。小さな失敗を積み重ねて、『世界に挑戦する12歳』というチャレンジ精神を養う学校を目指していきます」。


子どもたちのモチベーションに繋がる制服づくりを。

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田中さんの発言にもあった「服育」とは、生活に欠かせない衣服の大切さやその力について理解し、暮らしに活かす力を養う取り組みのことです。健康、安全、コミュニケーションはもちろん、環境や海外との繋がりといった衣服のさまざまな役割や可能性を育むために、田中さんはGLRに制服のデザインを依頼しました。

「現役時代に関東で試合があるとき、ユナイテッドアローズの原宿本店によく通っていたんです。ゴールデングラブ賞の授賞式ではスーツも作っていただきました。遠征先の大阪まで担当してもらっていた岩野 徳郎さん(現在:営業統括本部 R&D部 開発推進課 課長)と仕立て屋さんに来ていただいて」。

田中さんがこれまで取り組んできたプロ野球選手としての地域貢献、そしてこれから挑戦していく教育者としての地域貢献。そんな地域への想いはGLRとの共通項です。GLRも出店している一部の地域において「THINK LOCAL」というローカルマップを作成し、お客様に配布しています。マップを通じて地域の面白さを再確認し、楽しんでいただく。領域は違っても、自らの活動から地域に何かを還元しようとする気持ちの繋がりもコラボレーションの後押しとなりました。

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田中学園のシンボルマークを作ってもらったとき、野球のホームベースを出発点であり、帰る場所でもあると解釈して表現したデザインを見て、理念や想いを汲み取ったコンセプトに感銘を受けたと言います。プロのモノ作りにおけるプロセスやクオリティを実感した経験から、制服のデザインもこだわりたいという気持ちが湧いてきました。田中さんがGLRサイドに伝えたのは、色やデザインに対するリクエストではなく、「子どもたちをグローバルに戦える人材にしたい」という想いでした。

制服のデザインを担当したのは、GLRのキッズデザイナー矢後 良子さん。学生服のデザインはずっとやりたかったことだったという矢後さんは、田中さんの想いを「トラディショナルであって、かつ既視感のない制服」というキーワードに変換しました。実際に制服を着る子どもたちが着させられるのではなく着たいと思うように。そんなモチベーションが上がるような制服づくりが幕を開けました。


制服は、輝かしい思い出をつくるコミュニケーションツール。

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矢後さんは「グローバル→トラディショナル」というイメージから制服のパターンに代表的なトラッドスタイルのブラックウォッチカラーを採用しました。伝統的な柄をそのまま取り入れるのではなく、鮮やかなスカイブルーをデザイン。スカイブルーは北海道の気持ちのいい青空、グリーンは壮大な草原や森林から着想を得たカラーリングです。

さらにいまの時代を踏まえた上で、ジェンダーレスデザインであることも意識しました。たとえば、女の子がスカートだけでなくパンツを選べること。ネクタイの付け外しがしやすい仕様になっていること。そんな時代性にGLRのキッズ服の中でも人気の高いオケージョンスタイルを応用しながらデザインを詰めていったといいます。

オケージョンスタイルは入園式や卒園式といったシーンに好まれますが、子どもたちが着る制服は毎日使うものです。そのため、可愛さやかっこよさだけでなく、使い勝手や機能性、アフターメンテナンスへの対応も求められます。ただ制服を提供するだけでは意味がない。デザイン以外の領域をカバーするために、学生服・制服のプロフェッショナルである明石スクールユニフォームカンパニーさまとタッグを組みました。完成した制服について、田中さんは「何度見ても良い制服なんですよね」と思わず笑みがこぼれます。

「やっぱりプロは違うなと思いました。一度デザインをいただいてから、あえて寝かせてしばらく置いてみたんですよ。でも、見れば見るほどに良く感じるんですよね。野球もそうですけど、トッププレイヤーと活躍できていないプレイヤーが見ている景色はまったく違うんですよ。それはどの業界にも当てはまることなんだなって」。

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田中学園立命館慶祥小学校の制服は個性がありつつも、あくまでも主役は制服ではなくそれを着る子どもたちです。ジャケットとパンツ、スカートに共通するスカイブルーは顔色を明るく見せる効果があります。矢後さんは「子どもたちを輝かせる制服だと思うので、早く入学式を見たいですね」と待ち望みます。とてもチャレンジングだった初めての制服のデザイン。小学1年生から6年生まで同じものを着る。その意味においては、成長度合いが激しい小学生服の雰囲気は子ども過ぎても大人過ぎてもダメ。言い換えれば、小学生として過ごす時間の中で一番着る服だからこそ、矢後さんは思い出に残るものになることを願っています。


子どもも先生も、挑戦と失敗を積み重ねていく。

田中学園立命館慶祥小学校は制服と同様に校舎も個性的なデザインで設計されています。校舎があるのは札幌大学の元研修センター跡地。たとえば、生徒と先生が交流する職員室には壁がありません。職員室といえば先生だけの敷居が高いイメージがある空間ですが、田中さんは反対を押し切ってまでオープンな造りにすることにこだわりました。

01.ホール型ライブラリー全体ホール型ライブラリー
04.自主スペース隠れスペース自主スペース隠れスペース
05.3階教室ガラス教室ガラス
08.グラウンドグラウンド

「オープンな職員室のほうが子どもたちが気軽に来やすいんですよね。職員室だけでなく教室もオープンにすることで、隣のクラスの先生が何をやっているのかもわかるんですよ。廊下に立てば、ほとんどの先生の授業が聴けることはこの校舎の特徴のひとつ。先生にとってはプレッシャーかもしれませんが、子どもたちにはいい授業をしていかなければなりませんから。でも、先生たちには失敗する姿を教えて欲しいと伝えています。子どもたちは、先生は完璧というイメージを持っているけど、実際にそんなことはないですし、先生にとってもチャレンジ精神を養っていく学校にしていきたいんです」。

初年度は1年生から4年生まで合計200人の入学を受け入れる予定です。全学年が網羅されていない状態からのスタートとなりますが、リノベーションされた築50年ほどの校舎には、さまざまな場所に教育と成長、そして遊びの要素が散りばめられています。

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「校内の一部には昔からある柱を残しつつ、『柱ってこんなふうに変わっていくんだよ』と教えられるきっかけを盛り込んでいます。他にもワクワクするような仕掛けも作っていて、2階から3階をネット遊具で繋ぐことで生活の中で運動ができるような場としています。それから校舎に併設された広大な森は北海道ならでは。森の中でバーベキューを楽しんだり野外授業をしたり、25くらいのアスレチックコースが作られるので、自然の中でしか学べないことにたくさん触れられる機会があります。校内では最先端の教育をしますけど、森では野放しにして走り回ることで子どもの生きる力を養っていきたいですね」。

田中さんの言葉を借りると、教育には正解がありません。子どもそれぞれに合ったものが絶対にあるはずだと信じて、田中さんは教育の分野に挑んでいきます。大人として何かひとつの正解を提示するのではなく、子どもたちの目の前に多くの選択肢を広げること。たくさんある中から親と相談して自分の道を選んでいく。そんな多様性が必要だと意気込みます。

「新しい学校としてすべてにおいて新しいことに取り組んでいくので、正直、そこに対する不安はあります。でも、誰もやったことのないことをやるわけなので、そういう意味で先生も子ども一緒に挑戦と失敗を積み重ねていくと思うんです」。

アメリカメジャーリーガー時代では、ミスをした場合「ナイストライ」と声を掛けられました。逆に消極的なミスはなぜトライしないんだと叱られます。日本では「ドンマイ」と失敗を慰められます。これは同じようで180度違う言葉です。失敗を慰めるより、挑戦を称える。アメリカで教わったチャレンジすることを褒め称える文化は、まさに田中学園立命館慶祥小学校で大切にしていきたいことです。合言葉はナイストライ。開校を迎える2022年春、未来への可能性に満ちた子どもたちの成長をGLRの制服が支えていく。

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PROFILE

田中 賢介

学校法人田中学園 理事長 北海道日本ハムファイターズスペシャルアドバイザー 元北海道日本ハムファイターズ 内野手 生年月日 1981 年 5 月 20 日(40 歳) 出 生 地 福岡県筑紫野市 出 身 校 東福岡高校 経 歴 日本ハムファイターズドラフト2位入団(2000~2012) 2006 年からレギュラー定着 5度のリーグ優勝2度の日本一 MLB 挑戦・サンフランシスコジャイアンツ(2013) 北海道日本ハムファイターズ復帰(2015~2019) 北海道日本ハムファイターズスペシャルアドバイザー就任(2020~) タイトル ベストナイン二塁手部門6度(2006,07,09,10,12,15) ゴールデングラブ賞5度(2006~10) 通算成績 出場試合 1,619 安打1,499 打率.282 ( N P B ) 本塁打 48 打点 486 盗塁 203 犠打 179

JP

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