
モノ
2019.11.28 THU.
来年の「福」を“鷲”づかみ! 酉の市から見える熊手の歴史。
神社境内の路地にひしめき合う活気溢れる露店、そのあちらこちらから響く、福を祝う手締めの音と威勢のいい掛け声。年末の風物詩として各地のおおとり(大鳥、大鷲、鷲)神社で開かれる11月の酉の市には、縁起物として親しまれる“縁起熊手”を求める人で賑わいます。その形から、“幸運や金運をかき集めるもの”に見立てられ、商売繁盛・招福の意味が込められるようになったという、この飾りや酉の市の歴史を知る人は意外と少ないのではないでしょうか。浅草にて、伝統的な手法を守り美しい熊手を作り続ける唯一の店『よし田』を通して、酉の市と熊手の魅力を紐解きます。
Photo_Kenta Karima
Text_Rie Maetani
ただの祭りじゃない! 酉の市とは?
毎年11月の酉の日(十二支の酉にあたる日。11月の酉の日が2回ある時は初酉を一の酉、次をニの酉、3回めは三の酉と呼びます。)に各地のおおとり(大鳥、大鷲、鷲)神社の祭礼として江戸時代から続いているのが酉の市です。その起源は諸説ありますが、祭りの発端は花又(現、足立区花畑)の鷲大明神の近在農民による秋の収穫祭として鷲大明神に鶏を奉納したのがはじまりと言われています。
その祭りが次第に商売繁盛や開運を願う祭りへと進化していく中で、祭市の一角で農具として売られていた熊手が、いつの間にか縁起物として担がれるようになり、鷲が獲物をわしづかみすることになぞらえ、“福徳をかき集める”“鷲づかむ”という意味が込められたそうです。そして、時代とともに熊手にもお福の面や七福神、宝船、枡、千両箱、当り矢などが飾り付けられ、現代のような装飾を纏った華やかなものになっていきました。また、授かった熊手は、神棚や玄関などの目の位置より高い場所に飾るとよいとされています。
浅草の鷲神社でしか出会えない『よし田』の宝船熊手。
関東三大酉の市と名高い浅草・鷲神社は、花畑の大鷲神社と並び、唯一江戸時代から続く酉の市。ここでの酉の市の期間の境内のみでしか販売されず、高い人気を誇るのが『よし田』の熊手です。熊手にはいくつかの種類がありますが、熊手全体を宝船に見立てた“宝船熊手”を江戸時代から受け継がれてきた手法で作り続けている唯一のお店として、全国から目がけて訪れる人も多いとか。実はユナイテッドアローズも創業以来、『よし田』の熊手を買い続けています。ユナイテッドアローズ クリエイティブ・アドバイザーの鴨志田康人も、毎年この浅草の酉の市へ社を代表して足を運ぶうちのひとり。それには縁があるという。「『よし田』4代目女将とは幼なじみで、幼少期からこの大鷲神社の境内でも一緒に遊んでいました。昔の手法を変えずに伝統を守り続けていることへの応援の気持ちと、縁があって自分が入社した当初から願掛けのように買い続け、今年で創立30周年を迎えられた“運”をこれからも一緒に担いでいけたらと思っています」。
大小様々なサイズの熊手が並ぶ。伝統的な手書きの技法で、紙と竹を使いすべて手作業で作られる『よし田』の宝船熊手には、素朴な可愛らしさがある。
酉の市では名入れしてもらった購入済みの熊手を掲げ、縁起物を手に入れた福を祝う熊手屋の威勢のよいかけ声で手締めをする。1本〆または3本〆で締めるのが江戸の粋だそう。
運よく名入れをしてもらえたら、さらに招福できる?!
浅草・鷲神社の酉の市で『よし田』に通いつづけるファンの間で密かに呟かれる人物がいます。その人こそ、橘流寄席文字・江戸文字書家の肩書きを持つ橘右之吉さん。浅草寺本堂の大提灯や、酉の市のポスターの文字も手がける現代江戸文字の重鎮です。この橘右之吉さんのご実家が『よし田』であり、家業を手伝いに酉の市へ稀に顔を出すことがあるそう。その際に運よく右之吉さんに名入れ(購入した熊手に屋号や社名、名前などを揮毫してもらうこと)をしてもらえることが、ファンの間では特別な招福と噂されているんだとか。今回はその右之吉さんに、30周年を迎えたユナイテッドアローズのために特別に名入れをしてもらいました。
「言霊という言葉があるように、文字にも魂が宿っていると思っています。だからこそ、そこに込められた想いや意味に気持ちを集中し、1文字1文字に筆を入れています」。と語る右之吉さんの文字は躍動感に溢れ、見る者の心を掴むほど美しい。
日本の伝統技術を守り、丁寧に作り続けられる“宝船熊手”の地紙。
浅草・鷲神社の酉の市でしか買うことのできない『よし田』は、前述したように、江戸時代から受け継がれてきた伝統的な手法を守る、唯一の熊手屋として“宝船熊手”を作り続けています。七福神や財宝を描いた絵札で飾り、宝船に見立てた熊手のすべての素材は昔ながらの紙と竹のみ。製作は正月に使用した門松を方々から譲り受け、そこから竹を切り出し、串を作ることからはじまります。地紙の型抜きや串へののり付け、筋書き(下絵書き)、面相などの彩色、土台となる熊手への絵札の差し込みなど、全ての工程を職人と分担しながら手作業で仕上げるため、酉の市が終わった日から、1年がかりで次の年に売り出す熊手の準備に取りかかるそう。
中でも重要な筋書き(下絵書き)は4代目女将の京子さんしかできないなど、予想以上の時間と手間をかけて作られる工程が、希少価値の高い縁起物と言われる所以でしょう。「専門的な絵の勉強はしておらず、まさに見よう見まねで身につけたといった感じでしょうか」と語る京子さんは、小さな頃から現在“大女将”と呼ばれる3代目女将の母、啓子さんの作業を側で見ながら、色付けの手伝いをしているうちにだんだんと絵付けができるようになったのだとか。
先代の絵の個性でもだんだんとタッチが変化しているだけでなく、地紙はすべて手作業で仕上げるため、1枚1枚の線の太さや顔つきにも個体差があるそう。
熊手を購入する際には、そのユニークで可愛らしい表情にも注目してみると面白い。来年は、熊手に関する知識を深めることで、新たな気持ちで来年の酉の市を楽しめるのではないでしょうか。
知っておきたい熊手の三箇条
1.サイズの選び方
熊手は縁起物なので、その都度自分の予算に合わせて買うのでなく、商売が順調な時は、それに合わせて年々熊手を大きくしていくのが好ましい。または毎年同じ大きさを購入し続けてもよい。
2.正しい返納の仕方
熊手を購入した翌年の酉の市に設けられている<納め所>に返納し収めてから、新しいものを購入するという流れが一般的。一年間福を取り込んでくれた熊手に感謝の思いを込めて返納しましょう。
3.ご祝儀というならわし
酉の市には昔から熊手の商談という買い方がある。縁起ものは“勝つ”て帰りたいから、交渉して相手に負けてもらうが、勝った身祝いで値切った分だけ<ご祝儀>として店においてくるのが粋な熊手の買い方。
PROFILE

吉田京子
江戸時代から伝わる代々の技法を受け継ぎ、浅草・鷲神社の酉の市で唯一、宝船熊手を売る熊手屋『よし田』の4代目女将。毎年売られる1700~1800本以上の宝船熊手の筋書き(下絵書き)を全て手掛けている。

橘右之吉
橘流寄席文字・江戸文字書家。寄席文字橘会理事。『よし田』の長男として生まれ1965年に橘流寄席文字家元・橘右近に師事。1969年に正式な一門継承者として「橘右之吉」の筆名を認可される。浅草寺本堂の大提灯や、酉の市のポスターの文字等も手がけている。
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