

マーモットはアウトドアの先端を切り開き、ストリートの先頭を突き進む|知っておくべきブランド
いくら直幸
強豪メーカーがひしめくアウトドア大国のアメリカで、プロフェッショナルからファッションユーザーにまで幅広く愛用されている<マーモット(Marmot)>。ブランドの歴史やモノ作りの姿勢、そして注目の新ラインについても解説します。
挑戦と先見性で起こした数々の革新
その歩みは、カリフォルニア大学サンタクルーズ校の学生だったデイヴ・ハントリー氏とエリック・レイノルズ氏、そしてトム・ボイス氏の出会いから始まります。1971年、アラスカでの研究プロジェクトに参加して意気投合した3人は、調査から戻った後、山岳地帯に生息するリスの名を冠した登山サークル「マーモット・マウンテン・クラブ」を結成。ただ、ひととおりのウェアやギアを揃えるお金はなく、かつ本当に満足できる製品もないことから、学生寮の部屋を工房にしてダウンジャケットや寝袋を自作することに。これが仲間内で評判となったのを足掛かりに、'74年に<マーモット・マウンテン・ワークス>(後に<マーモット>へと改称)を設立します。
しばらくしたある日、知り合いの映画プロデューサーより “ 1週間以内に108着のダウンジャケットを用意してほしい ” という急な発注が入ります。彼らは、この無茶な依頼をビジネスチャンスと捉えて快諾。不眠不休でデザインから生産までをやり遂げ、期日に間に合わせて納品したのです。「ゴールデン・マントル・パーカ」とネーミングされたそれは、クリント・イーストウッドが監督・主演を務めた'75年公開の山岳アクションムービー『アイガー・サンクション』の撮影スタッフが着用。これがキッカケとなり、インディーズながらも新進気鋭のメーカーとして一躍その名を広めたのでした。
続く'76年には、まだ無名だったゴアテックスにイチ早く着目し、世界で初めてアウトドア用品に採用。寝袋を手始めに、ウェアも次々と拡大させました。また'82年にはメンズサイズを縮小しただけではない、女性の体型に合わせてイチから開発した業界初のウィメンズモデルを発表。さらに翌年、現在では広く浸透しているウルトラライト(可能な限り装備を軽量化して登山に挑む)スタイルの源流となった「ライトパッキング」という言葉と概念を先じんて提唱します。ほかにも、脇下のベンチレーション、袖口をベルクロテープで絞るギミック、腰から雪や冷気が侵入するのを防ぐパウダースカートなど、今やアウトドアアウターで一般化している様々なディテールを考案したと言われています。
しばらくしたある日、知り合いの映画プロデューサーより “ 1週間以内に108着のダウンジャケットを用意してほしい ” という急な発注が入ります。彼らは、この無茶な依頼をビジネスチャンスと捉えて快諾。不眠不休でデザインから生産までをやり遂げ、期日に間に合わせて納品したのです。「ゴールデン・マントル・パーカ」とネーミングされたそれは、クリント・イーストウッドが監督・主演を務めた'75年公開の山岳アクションムービー『アイガー・サンクション』の撮影スタッフが着用。これがキッカケとなり、インディーズながらも新進気鋭のメーカーとして一躍その名を広めたのでした。
続く'76年には、まだ無名だったゴアテックスにイチ早く着目し、世界で初めてアウトドア用品に採用。寝袋を手始めに、ウェアも次々と拡大させました。また'82年にはメンズサイズを縮小しただけではない、女性の体型に合わせてイチから開発した業界初のウィメンズモデルを発表。さらに翌年、現在では広く浸透しているウルトラライト(可能な限り装備を軽量化して登山に挑む)スタイルの源流となった「ライトパッキング」という言葉と概念を先じんて提唱します。ほかにも、脇下のベンチレーション、袖口をベルクロテープで絞るギミック、腰から雪や冷気が侵入するのを防ぐパウダースカートなど、今やアウトドアアウターで一般化している様々なディテールを考案したと言われています。

「FOR LIFE(生還するため、楽しむためのプロダクト)」をスローガンに、常に挑戦を忘れず、先進のマテリアルを積極的に取り入れ、画期的なアイデアを具現化させ、いくつもの革新を起こしてきた<マーモット>。機能に特化したハイクオリティなメーカーという認知は、こうして早い段階から確立されていきました。とりわけ、過酷な環境や条件下に身を投じて大自然と対峙するクライマー、山岳ガイド、冒険家といったシリアスユーザーからは絶大な信頼を獲得しています。ことにダウン製品の評価は高く、本国のアウトドア専門店では軒並み目のつくスペースに陳列されているのも、トップブランドたる証しでしょう。
アウトドア生まれのシティウェア
日本で本格的に<マーモット>が知られるようになったのは'90年代のこと。アウトドアショップでの取り扱いに加え、ストリートで隆盛したアウトドアスタイルのブームから街でも人気に火が点きます。優れた機能性はもちろん、シンプルで洗練されたデザインが多かったことも支持を集めたのです。時代を牽引する影響力の強いセレクトショップにも置かれ、若者の憧れであった販売スタッフたちが自由な着こなしを実践したことで、ファッションシーンにおいてもファンを増やしたのです。
半世紀の歴史をとおして生み出されたヒット作は、枚挙に暇がありません。なかでもファッションの側面から特にトピックな一着となったのが、通称・Biggieこと、ボリューム満点のダウンである「マンモス・パーカ」でした。2000年代の後半にアメリカで発売されたそれは、定価600ドル以上という高価なプライス、極寒の冬に頼もしい圧倒的な防寒性、色とりどりの鮮やかなカラーバリエーションなどがニューヨークの不良少年たちの心をつかみ、アップタウンで大流行。ギャングやラッパーのステータスシンボルとなり、品薄となったことで強奪事件まで発生したのです。あまりの過熱ぶりを鎮静化させるため、遂には廃番となった伝説のアイテムとして語られています。
そして創業50周年を目前に控えた'23年秋、新機軸となる<マーモット キャピタル(MARMOT CAPITAL)>がスタート。数々の名作を有する同社のアーカイブからインスピレーションを受け、現代の解釈・感性・マテリアルで再編集した東京発のシティユースラインです。指揮を執るのは、自身のブランドであるパープルシングスでデザイナーを務める傍ら、大手ショップのレーベルディレクション、さらにはモデルなどマルチに活躍するファッションアイコンの菊乃氏。ファンクショナルな素材やテクニカルな仕様を精力的に取り入れるとともに、高感度な若い世代を魅了する彼女らしいエッジも効かせた都会派のユニセックスコレクションは、早くも話題を呼んでいます。そもそものポテンシャルが高い<マーモット>だけに、ストリートをフィールドとする新たなチャレンジ&イノベーションから目が離せません。
半世紀の歴史をとおして生み出されたヒット作は、枚挙に暇がありません。なかでもファッションの側面から特にトピックな一着となったのが、通称・Biggieこと、ボリューム満点のダウンである「マンモス・パーカ」でした。2000年代の後半にアメリカで発売されたそれは、定価600ドル以上という高価なプライス、極寒の冬に頼もしい圧倒的な防寒性、色とりどりの鮮やかなカラーバリエーションなどがニューヨークの不良少年たちの心をつかみ、アップタウンで大流行。ギャングやラッパーのステータスシンボルとなり、品薄となったことで強奪事件まで発生したのです。あまりの過熱ぶりを鎮静化させるため、遂には廃番となった伝説のアイテムとして語られています。
そして創業50周年を目前に控えた'23年秋、新機軸となる<マーモット キャピタル(MARMOT CAPITAL)>がスタート。数々の名作を有する同社のアーカイブからインスピレーションを受け、現代の解釈・感性・マテリアルで再編集した東京発のシティユースラインです。指揮を執るのは、自身のブランドであるパープルシングスでデザイナーを務める傍ら、大手ショップのレーベルディレクション、さらにはモデルなどマルチに活躍するファッションアイコンの菊乃氏。ファンクショナルな素材やテクニカルな仕様を精力的に取り入れるとともに、高感度な若い世代を魅了する彼女らしいエッジも効かせた都会派のユニセックスコレクションは、早くも話題を呼んでいます。そもそものポテンシャルが高い<マーモット>だけに、ストリートをフィールドとする新たなチャレンジ&イノベーションから目が離せません。

ファッションライター いくら直幸
人気アパレルメーカーのPRを経て、1990~2000年代に絶大な影響力を誇ったストリートファッション誌『Boon』の編集者に。現在は『Begin』『OCEANS』をはじめとするメンズ雑誌とウェブマガジンに寄稿するほか、有名ブランドや大手セレクトショップの広告&オウンドメディアなどで活動。また、日本テレビの情報バラエティ番組『ヒルナンデス!』のコーディネート対決コーナーでは審査員も務める。
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