ヒトとモノとウツワ ユナイテッドアローズが大切にしていること ヒトとモノとウツワ ユナイテッドアローズが大切にしていること

札幌で積み重ねた25年。“会いに来てもらう店”を続けたい。

ヒト

2025.11.06

札幌で積み重ねた25年。“会いに来てもらう店”を続けたい。

オープン当時から25年以上、〈ユナイテッドアローズ(以下、UA)〉札幌店に販売員として立ち続ける宮下 信夫さん。今期、販売と顧客体験を進化させるスタッフを認定する、UA社独自の制度“セールスマスター”の社内に4名しかいないゴールドランクに選出されました。多くのお客様に支持される背景には、時代に合わせて変わり続ける販売員としての在り方と、変わらない考え方と所作の美学がありました。入社のきっかけから、接客の極意、そしてこれからの〈UA〉札幌店への想いを伺いました。

Photo:Shunya Arai
Text:Daiki Yamazaki

買う側から売り手に。情熱を信じて飛び込んだ〈UA〉札幌店。

— まず、入社の経緯から教えてください。

〈UA〉札幌店がオープンしたのは、裏原ブームや古着文化が盛り上がっていた時代。
当時の私は古着と〈クロムハーツ〉に夢中でした。〈クロムハーツ〉は、北海道には正規の取扱店がなく、東京まで買いに行っていたんです。原宿にある、現在の店舗になる前の時代。お店の空気にも、モノづくりにも強く惹かれました。
通ううちに「買う側ではなく、作り手や売り手の側に回りたい」と思うようになっていました。 そして正規代理店が〈UA〉社だったので、「入社するならここだ」と前職を辞め、29歳で札幌店のアルバイト面接を受けました。年収は3分の1。それでも“ここで働きたい”という情熱だけで飛び込みました。

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— 当時の思い出を教えてください。

オープン時のエントリーシートは約800通。その中から採用されたのはわずか30名ほどでした。研修は都内の店舗で行われ、オープン初日には創業者の重松会長が自らネームプレートをつけて店頭に立っていた姿は今でも鮮明に覚えています。
「トップが現場に立つ」というその姿勢に、ブランドとしての在り方を感じました。
当時のスタッフ全員が、自分たちの店をつくるという誇りと緊張感の中で働いていました。

変わる時代、変え続ける接客。

— 25年間で、接客のスタイルはどう変化しましたか。

入社した当初は、求められたものをただ差し出すことが接客だと思っていました。当時はSNSもまだない時代。洋服のことをいちばん知っていたのは、私たち販売員でした。素材や背景、イタリアやアメリカの文化までを自分の言葉で伝えながら、提案することができた時代でした。ですが、いまではお客様のほうが詳しいほど。お目当ての“モノ”を指名してご来店され、お店や担当者が誰かは関係ないというケースも増えています。だからこそ、“モノを介して人に会いに来てもらう”。その関係をつくることに軸足を置いています。

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— 接客時は何を大切にされていますか?

来てくださったお客様には、持てる知識も経験もすべて伝えたいと思いながら接客しています。お客様の未来のどこかに、自分の存在が残っていたら嬉しいです。極端かもしれませんが、いつかその方が人生を振り返ったときに「宮下に会えてよかった」と思ってもらえるような、そんな接客を目指しています。

セールスマスター・ゴールド認定という結果。

—今回のセールスマスターゴールド認定を、どのように受け止めていらっしゃいますか?

今期、セールスマスター・ゴールドに認定されましたが、それはあくまで結果であって、目的ではありません。むしろ“自動販売機のようにならないこと”をチームで共有しています。全員が均質で便利なスタッフになるのではなく、それぞれの長所が噛み合って、一つの店の“かたち”になるのが理想です。互いの特性を伸ばし、短所を補い合う。そうして初めて〈UA〉札幌店という“顔”ができるのだと思っています。

所作と舞台。受け継ぎたい美意識。

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— 後輩スタッフに伝えていることはありますか?

お店は舞台。立ち居振る舞いや所作に“緊張感”が宿るべきだと考えています。創業初期の〈UA〉原宿本店は、入口のマット一枚まで美しかったと記憶しています。私がご一緒する機会が多かった先輩は、店前の掃除を誰よりも厳しく、自ら行っていました。そういった“当たり前の美意識”を継承していきたいと思っています。掃除機のかけ方、什器の扱い、10年後を想像したメンテナンスなど、価格や品位にふさわしい所作を、もう一度徹底していきたいと思っています。

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記憶に残るお客様。

— 25年間店頭に立ち続けて、印象に残っているエピソードはありますか。

〈モンクレール〉がまだ今ほど知られていなかった頃のこと。お車でご来店された顧客様に、一着のアウターをおすすめしました。当時は“モンクレー”と呼ばれることも多く、まだ知る人ぞ知る存在。けれどその縫製の美しさや、冬の北海道にも負けない保温性に惚れ込み、「これから必ず評価されるブランドです」とお伝えしました。数年後、その方と店頭でお話をしている際にふと過去の〈モンクレール〉のお話になり、「あのとき紹介してもらって本当によかった」と言っていただけた。ブランドが有名になっていく過程を、お客様と一緒に見届けられたようで、とても嬉しかったことを覚えています。
札幌店の25周年には古くからお付き合い頂いている顧客の皆様へお手紙を添えたギフトをお渡ししました。25年前のオープン初日に初めてご来店してくださり、今でもお付き合い頂いている方が「いままでの買い物の中で一番大切にしているモノは、あなたと選んだ〈クロムハーツ〉のアイテム」だと後日伝えに来てくださいました。ペンダントとベルトで、当時で合計50〜60万円。車を買う貯金を崩して購入してくださったのです。とても心に残りました。

アイコンとなったオーダーのリング。

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— 仕事に欠かせないアイテムについて教えてください。

札幌で「〈クロムハーツ〉 正規取扱い」を検索しても並行輸入店ばかり出てきた時代、Yahoo!知恵袋に「このリングをしている人に接客してもらって」と書いてくださった方がいらっしゃいました。以来、自分の“アイコン”として身につけ続けています。
片方は会社に入る前に購入、もう片方は顧客様と一緒にオーダーした特別な仕様。通常ラインにないので、もしかしたら世界に二つだけかもしれません。ほぼ毎日付けているので、着け忘れると身体のバランスが崩れるくらいです。

リフレッシュ法は「直すこと」。

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— ご自身の気分転換の方法はありますか?

工具で“直す”ことです。安価で販売されている工具ではテンションが上がらないので、お気に入りの道具を揃えています。自宅の食洗機を自分で選んで付け替えたり、店内のドアや鍵の不具合を担当者と連携して直したり。誰かが助かると自分も嬉しいです。以前〈レゴ〉の“盆栽”をもらいましたが、自分のための組み立ては後回しなので、まだ手付かずの状態です。理系の性分で、構造や仕組みを整えていくのが好きなんだと思います。そして何かが直って誰かの喜びに繋がると自身の心も晴々、スッキリします。

これからの札幌店、これからの自分。

— いま、札幌店に感じていることは。

〈UA〉自体が“ただのお店”になってしまってはつまらないので、マスの一角ではなく、一段上の“場”であるべきだと思っています。什器の扱い一つにも10年後の姿を思い描く。所作と美意識を磨き直して、〈UA〉札幌店をもう一度“舞台”にしたいと考えています。

— これからの目標や展望はありますか。

お客様が“モノ”を買いに来るのではなく、“スタイル”を見つけに来る場所であってほしいです。私は定年まであと5年。顧客の皆さまには「最低限あと5年、お付き合いください」とお願いしています。同時に、自分が培ってきたことを後輩に伝える時期でもあります。自分の知識や技術、そしてこの25年間で学んだすべてを、次の世代に渡していきたい。それが、僕にできる最後の“仕事”だと思っています。

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PROFILE

宮下 信夫

宮下 信夫

2000年にアルバイトにて入社。以降25年間、ユナイテッドアローズ 札幌店のスタッフとして勤務。2025年4月よりセールスマスターのゴールド認定を受け、現在は後輩の育成にも力を注いでいる。

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