
モノ
2018.05.31 THU.
涼をとるためだけにあらず。
美しい所作と共に和の心を表す京扇子。
平安時代を起源とする京扇子。今では涼を取るために用いられるのが一般的ですが、歴史を紐解くとその用途は多岐に渡っています。今回は、京扇子の歴史や日本人の暮らしのなかに長く息づいてきた扇子の役割を探ります。京都を代表する京扇子の老舗を訪れ、製造工程を見学させていただきました。
Photo:Takahiro Michinaka
Text:Junko Amano
元々はメモ帳として始まった扇子の歴史。
扇子の歴史は平安時代の宮中にさかのぼり、記録用の木簡を束ねたものが起源と言われています。その後、木簡は徐々に装飾品として発展し、ヒノキの板に華やかな絵柄を描いた檜扇(ひおうぎ)が誕生しました。この頃はまだ木材でつくられていましたが、平安時代中期になると、竹などを骨として片面にだけ紙を貼った蝙蝠(かわほり)という扇子が生まれ、貴族社会の必需品となります。
そして室町時代以降は茶の湯、能楽とともに発展。江戸期には庶民に普及し、宮参りの奉納や七五三詣への参拝、正月や婚礼などの祝儀に取り交わすなど、人生の節目で重要な役割を担うようになっていきました。その役割は現代まで変わることなく引き継がれ、末広がりで縁起が良いとことから儀礼用や贈答品として、茶道や舞、落語などの諸芸能でも使用され、日本の文化に根ざした道具として、その利用法は機知に富んでいます。
代々受け継がれる熟練の職人技の結晶。
扇子の生産地は今も昔と変わらず京都が中心であり、なんと国内の扇子の生産高の9割以上を京扇子が占めています。今回訪れた<宮脇賣扇庵(みやわきばいせんあん)>は、文政6年(1823年)創業以来、ほぼすべての製品を自社で製造販売しています。
「京扇子は分業制で、1本の扇子をつくるためには、扇子の骨組をつくる“扇骨加工”や紙の部分をつくる“地紙加工”、扇骨と地紙を合わせる“仕上げ加工”など、さまざま工程を要し、その数は87工程に及びます。さらに、その工程は今なおほとんどが手作業であり、職人技に委ねられています」と語るのは<宮脇賣扇庵>の南忠政さん。
では実際、京扇子がいかに緻密な作業によって生み出されているのかを知るため、職人さんのもとを訪ねました。
今回お邪魔したのは“ツケ”と呼ばれる扇骨と地紙を合わせる仕上げ加工を担当する、米原直孝さんの工房です。「うちは紙と骨を仲良くする仕事です」と、米原さん。ツケ職人であるお父さまの背中を見て育ち、小学生の頃から工房の手伝いを始め、“ツケ”一筋40年以上の大ベテランです。
お父さまの代から使われている年期の入った道具を受け継ぎ、全行程すべてが手作業に。地紙に空気を送り込む作業も未だに機械を使わず、自身の口で息を吹いています。この“地吹き”(じふき)という作業は、扇骨を地紙に差し込みやすくするため、地紙にほどこされた穴をさらに広げる作業なのですが、穴は少ないもので8個、多いもので40個、一口ずつ吹いていかなくてはなりません。「地吹きは穴の大きさをそろえるため、均一に息を入れることが重要。息の量を調節しながら作業していると、腹筋も使うし、お腹が減ってきます」と、ニッコリ笑う米原さん。
米原さんが担当する“ツケ”の工程で一番難しいとされるのが“中ツケ”と呼ばれる糊のついた扇骨を地吹きで広げた穴に差し込む工程です。米原さんがスピーディに扇骨を差していく様子を見ると簡単そうに感じますが、初心者が行うと扇骨の1本1本を穴に差し込む作業はまったくスムーズにいかず、しかも扇骨を地紙の中心にまっすぐに、全部の扇骨を均一に差し込むのは至難の業です。
“ツケ”には、”地吹き”や”中ツケ”以外にも細かい作業がたくさんあり、“ツケ”の工程には3日間を、さらに扇子製造の全行程となれば完成までに1ヶ月~2ヶ月を要します。これまで何気なく使っていた扇子は、ひとつひとつにこめられた想いや技を知れば、愛着が高まらずにはいられません。
持つだけで品格が出る大人のたしなみ。
手軽に涼をとれる道具やエコアイテムとして注目されている扇子ですが、<宮脇賣扇庵>では夏だけでなく、一年を通して扇子を活用されるお客さまが多いそう。「バッグに忍ばせておき、劇場や電車など、冬のエアコンが効いたシーンで少し気温が高いと感じた際に使う方が増えています。また、商談の時に懐から出して、テーブルの上に置くと自然と場がキリッと締まったり、壇上でスピーチする際に、手に持って話すと説得力が出たりとおっしゃるお客さまもいらっしゃいます」と、南さん。
茶道においては、閉じた扇子を膝前に置いて挨拶したり、床や点前座を拝見する際に使用されるように、扇子は敬意をあらわすべき方や貴重な道具に対して結界の役割を果たし、一段へりくだる謙遜の意味が込められています。このほか、御礼を渡す時などには、広げた扇子を帛紗(ふくさ)代わりの台として差し出す作法もあり、扇子はいわば相手への敬意がこめられた日本の礼儀と言えるでしょう。
「礼儀を重んじる武士にとって扇子は、威儀(いぎ)を正すものとして刀と同格に扱われる重要な道具でした。現在も扇子を身につけることで自分自身の気を引き締め、常に懐に忍ばせ、御守り感覚で持ち歩く方もいらっしゃいます」。
自身が涼をとるためだけに使っているつもりでも、実は「扇ぐ」という所作が周囲へ涼を感じさせたり、所作の美しさが人を魅了したり。また、扇子を閉じている状態で使い、相手への敬意を示したり。コンパクトで手軽ながら、身につけるだけで立ち振る舞いや相手に与える印象までもかえてしまう、そんな魅惑の扇子をぜひ堪能してみてはいかがでしょうか。
INFORMATION

文政6年(1823年)創業。涼をとる夏扇や舞扇、茶扇子、飾扇、檜扇など、さまざまな京扇子を製造販売している。店内には著名画家による扇面画をはじめ、歴史ある芸術品も飾られていて、なかでも明治35年に京都画壇48名によって描かれた天井画の眺めは圧巻。

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