シテンの視点 # 23
WOMEN / MEN / シテンの視点
2022.09.16
シテンの視点・# 23
文: 百々 徹
ブラックスライドマントラ
イサムに会いに札幌に行ってきた。
イサムの作品の中でも最も好きな部類、札幌大通り公園に鎮座する。
ブラックスライドマントラ。アフリカ産の花崗岩を使い、高松のアトリエで制作したという。
曲線の有機的な美しさは、素材をもってして完成する。漆黒の強さはデザインの存在とその滑り台という機能を半永久的に残し続ける。デザインの中で無意識に遊ぶ子供、その遊んだ存在に気附くのはいつか、いや気附かずに終生過ごすのか。。。
イサム・ノグチ
22歳でニューヨークに移住してきた。
圧倒的な芸術の世界と出会うことになった。
ルーマニア出身の彫刻家コンスタンティン・ブランクーシとの出会いにより衝撃的な印象を受ける。
ブランクーシは姿・形を写実的に表すのではなくて、概念を形にする抽象彫刻を追求していた。その後ノグチはパリにあるブランクーシのアトリエを訪ね、教えを乞うことにした。パリ時代のノグチの抽象的な作品はブランクーシの影響を色濃く感じさせる。
しかし、ノグチはわずか半年でブランクーシの元を去ることになる。その頃の思い出を振り返り、ノグチはこう言っている。
「抽象的な表現に対してある種の反感を抱いたのです。」「自分は準備不足で充分な経験がない、若くして抽象的な表現を始めても「世界」を知らず、基礎がなければ薄っぺらですぐに限界が来てしまいます。」好きな「抽象」から離れる理由がそこにあったのだという。
そして、ノグチはパリを離れ世界各国を旅することにした。自分だけの表現を模索するためだった。中国を経由して、最後に辿り着いたのは日本。ノグチの関心は日本の文化に移っていき、訪れたのは古都・京都、日本の庭園に大きな衝撃を受けることになる。龍安寺の石庭のように、水のある風景を、水も用いずに石で表現する枯山水に高い芸術性を感じたのだった。
この頃のパリに始まる彼の時代は、抽象を出て、京都の枯山水に至り、そこの石はその後の彼の表現に決定的な影響を与えることになる。
日本の庭を見て感じたこと。その自然が庭の中にあるのを見て、これこそが「彫刻」そのものじゃないのかと思ったという。
「石というものはどこにでもある、一番古い、一番新しい、一番人間に必要な自然ですよ」と彼は言った。その庭園をつぶさに見て、石という素材、さらに庭園が持つ公共性にノグチは心を動かされたわけだ。
その感動を元にニューヨークに戻ったノグチは、その後パブリックアートをよく手掛けるようになり、彫刻を日常に取り入れる意識が強くなって行き、その後の数々の作品の表現には膨らみが増し、作品そのものも彼の独自性が際立ち、作風が確立されて行ったのであった。
ここで言いたいのはノグチが発見した「シテン・視点」である、自分の好きな抽象に自ら疑問を持って、薄っぺらかった、その表現に膨らみを持たせる必要を自ら感じて、世界を見て歩くことで、結果的に自分にとっての重要な存在としての自然の中にある彫刻を発見したといえる。最初の思い込みだけでは見つけることが出来なかった自らの作風を、視点を変えること、世界に出ることによって、それらは確立されていったということが言える。
巨大な公園、モエレ沼公園、遠く札幌の全体も見渡せる。
標高62m のモエレ山
ルーブルの前にあるピラミッドからリファーされている。
モダニズムが佇む空間になっている、系統的造形美と言える。
香川県から来ている石、大阪城築城などに使われたのと同じ石。庵治石なども含む。
香川県の石、日本で一番美しい花崗岩を産出するところである。
イサム・ノグチのランプ、世の中的にはこれで有名 やはり「抽象」の人である。
人の手が入っているという「視点」 において、日本で最高のランドスケープデザインと言える。
ノグチの晩年の秀作の大作はやはり日本にあった。秋口は訪れるにちょうど良い季節である。
駐車場を遠ざけて、自販機は目に入るところに置かせなかった、目を覆いたくなるようなサインのたぐいもない。
ノグチの意志が今も息づいている。
北海道の札幌と香川県の高松にはノグチ作品が多数あります、その膨らみのある「抽象」の世界を見て、感じ取っていただきたいと思います。視点が変わります。
全ての撮影:百々 徹
やはりノグチ作品:神奈川県立近代美術館 葉山館 自らの夫婦像であるという。
ものには色んな視点、諸説があると思います。多様な角度からの視点で見ていますことをお含みおきくださいませ。
およそ月に一度のペースでコラムを担当させていただいています。
百々 徹: 家具インテリアで15年、ファッションで22年、横浜・石川町の小さな雑貨店MWL STOREの店主として7年目、コラムニスト。
参考:イサム・ノグチ 幻の原爆慰霊碑 、施設としてのモエレ沼公園